日付が変わりましたので
席取りに三連投してしまって済みませんでした。既に一番さんが来ていて、3番目かなと3番で語呂合わせしたら3番は消えていて4番目でした。何時もの事か、または、前号での途中で放り出したコメントに勘気を買って、とうとう、締め出しを喰ったかと不安に思って、試しの5番目をしたら反映されました。安心して6番目で語呂合わせをしたら、初の三連投になってしまいました。席取りに命を賭けている方がおられたら欲張りになって申し訳ありませんでした。3番は、まだ消え続けているのは己のせいかな。もし、そうだっら、尚更、申し訳ありません。
元に戻ります。
男系カルトは、無頭脳なので統一協会カルトと親和性がよく、どの面ヅラも、こぞって統一協会に出バって行きよっています。まるで、カルトごきぶりホイホイのようです。
まさに、カルト統一ファミリーですね。
これからは
「男系カルト統一協会は出て行け」が合言葉で便利です。男系固執と統一協会は、根底の下地が全く同じですからね。
また、SPA!のドンパスを見まして、クライテリオンの川端裕一郎 氏が、(国際)法違反と道徳違反を分けていたのを余計に愚かしく感じました。少なくとも内面においては、法律が無いのと、道徳が無いのとは一緒です。
法律があってもアベノように道徳が無ければ法律は守られません。
道徳の無い者には、法律の縛りは効きますが、厳密な意味での道徳の涵養は出来ません。この点、法治は政治制度が破綻していれば無意味なものとなります。但し、道徳が何とか維持されていれば、完全な無法状態にならない少しの補助にはなり得ます。西部劇を思い出して、こう考えるのです。
しかし、細かく考えなくても法律と道徳は、なるたけセットだに思い致しておれば、川端氏のように
>イラク戦争では国際法違反だから米国に腹が立つのでは無くて、道徳に違反しているからムカつく
なんて、分裂思考は言えないと思います。
藤井氏とクライテリオンの人たちは、よしりん先生の指摘が分からないのは男系固執と同じです。ウクライナ戦争は、アメリカが悪いと言った自己洗脳が解けていません。自己カルト宗教にはまっています。
思えば宗教は、特殊な哲学だと捉えないと道を間違えます。不殺生が第一の大前提の仏教でも、一向宗のように、教義を守る為なら、一揆で、いくらでも殺害 OK になりましたもんね。(歴史)
宗教の醸す超自然的な力に、溺れた時みたいにすがり付くだけでは絶対に人生をよくするはずのありません。
統一協会の壺にしたって、多宝塔にしたって、新聞広告に出て来る開運ブレスレットと同じです。こんなものに もたれかかっても人生が良くなるはずがありません。
占いは趣味で嗜みますけれども、本格的にやればやるほど因果律は、そこだけに留まりません。開運したと思ったら、別の因果律にやられて、占いなんてやらない方のよかったも有り得ます。浅い占者は、人を導けもしないのに軽い技術で占って、脅しに陥るような事はあってはならないです。己は人を占うなんてしたくないので、占うなら数百億円を条件にした上に、これでかえって不幸に成り得ます、命を失う場合のありますと明記した契約書に実印を押してもらわないと嫌です。
神仏は、常に人間の理想を求める究極の存在であって、それは人間の日常生活の延長にあると聞きます。その理想に倣う為に教義と葛藤して自己修練に繋げて行くものだと心得ないと、かえって人生の害になると思います。
少なくても過ぎ行く一日は、絶対に帰ってこないのは誰でも分かります。この一日の命をどう過ごして行くかは、日常にしかなくて、考えてみれば毎日は、そんなに代わり映えしないのが普通です。その中で教義を如何に捉えて生活して行くかに他は有り得ません。
しかも、今の日常と常識が離れていないか、絶えず点検と思考がなければならないはずです。これがなければ現実世界に合わせて、現実の自分が神仏に倣って立身立命など不可能です。自分自身の独立した認識が醸成されなければ、おそらく己は、その宗教に満足しないです。優れた宗教の実践者には、これがあると感じています。このような人に一般人の共感が多く集まるのは、この為と思います。宗教の言うままに思考停止して、命令に従うだけでは人生は絶対に良くなるはずはないです。
お詫びだけと思ったら、また筆が滑りました。