今日の小林先生のブログの「たいものれいがしたいもの」にめっちゃウケてしまい、今日は一日中思い出しては吹き出してました。
ところで、施氏は「皇室はすべての日本国民に崇敬される対象」と書いていますが、そこまで言って委員会の山口、門田、竹田各氏の「祭祀をして国のために祈ってくれるから」「2000年男系だけで繋いできたから」なんて話を聞いて、なぜ皇室や天皇がすべての日本国民に崇敬される対象にまでなるのか、なぜ天皇がありがたいご存在なのか、男系固執派以外で納得できる人はいるんでしょうか。祭祀で国民の平安を祈るのは、日本中の神主さんだって多分やってくださっているはずです。
三浦瑠麗氏などは男系固執派ではないものの、たかだか10年足らず総理だった人の葬儀を国葬で行うことに対し、「天皇だってタイモノレイやるんだから元総理の国葬やって何がいけないの?」とか言い出すし、この人は天皇のご存在のありがたさなんて全く理解してなかったんだなと思いました。しかもその元総理は、現職時代の政治に数々のドス黒い疑惑があり、死因がそもそも完全に自業自得の人物なのに。これでは天皇や皇室にさして関心がない一般国民は、天皇って随分軽い存在なんだなとしか思わないんじゃないでしょうか?
そして、双系派である私自身も「愛子様が天皇にふさわしいのは聖域でお育ちになってきたから」と、つい言ってしまいがちなのですが、天皇陛下がおられる宮中が聖域とまで言えるのはなぜなのか、ちゃんと考えていなかったことに気付きました。(小林先生や高森先生がすでに書いておられたら申し訳ありません)
そこで、神主さんや海外の王室と、天皇陛下とで一番違うところとは一体何だろう?と考えてみたのですが、それは「天皇は国民の父母たらんとする君主」であり、それを実際に行動で示しておられるという点ではないかと思ったのです。
昭和天皇は最後の御前会議において、もし本土決戦に突入したら日本人が死に絶えてしまうのではないかと憂慮され、「それでどうして日本国を子孫に伝えることが出来るか。自分の務めは祖先から受けついだこの日本を子孫に伝えることである」とおっしゃって、終戦のご聖断を下されました。この時点では天皇が戦争犯罪人として処刑される可能性もあったのに、一日でも早く戦争を終わらせ、一人でも多くの国民の命を救うことを優先された。そして、実際に占領軍の総司令官マッカーサーに直接「私の身はどうなっても構わないから、どうか日本国民を助けてほしい」と訴えられ、戦後の治安も悪く困難な道のりの中、日本中を巡られて国民を励まされました。
このようなお振る舞いができたのは、確かに昭和天皇というお方が類い稀な君主でいらしたからでもありますが、根底には、天皇とは「民を吾が子として慈しみ、守る」存在であり、それは皇祖皇宗すなわち、天照大御神まで含めた皇室の祖先から代々受け継いだ任務であるという帝王学が、日本の皇室には脈々と受け継がれていたからだと思います。
私は4年前の夏に皇居勤労奉仕に初めて参加し、最終日には天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)からお言葉を賜る機会に恵まれました。天皇皇后両陛下には、比喩でも何でもなく後光が差しておられ、私が所属する団体の前に来られ、「ありがとう」とおっしゃられた瞬間に涙が溢れました。あの涙は、「無私の存在にして、民を吾が子と思ってくださる方」からのお言葉に、ひたすら「かたじけない」と思う気持ちの表れだったのだと思います。
戦国時代の後奈良天皇も、ご自身が即位の式典すら挙げられないくらい窮乏している状況において、相次ぐ戦乱や飢饉に苦しむ民の姿に、「民の父母たらんとすれども徳覆うことあたはず、甚だ自ら痛む」と心を痛められました。全ての歴代天皇が、これほど徳が高く、ひたすら民の安寧を祈り、民の父母たらんと努められた方ばかりだったわけではないでしょうが、おおむね天皇とはそうしたご存在であるという認識が国民の側にもあった。だからこそ、天皇は施氏が言うように「すべての日本国民に崇敬される対象」になってきたのだと、この論破祭りをきっかけに気付き、腑に落ちたのです。施氏の意図とは全く違う方向に気付きが深まりました。
男系固執派は、天皇の「男系の血を引く」「男子」にだけは、君主として振る舞える能力が自動インストールされてるとでも思ってるんですかね。そんなふうに思えること自体、天皇というご存在を舐めくさっている証拠です。男系固執派は、「旧宮家の方々は一般国民とは意識が違う。いつでも皇室に戻る覚悟がある」とか、いとも簡単に言いますが、上記の後奈良天皇や昭和天皇、上皇陛下のようなお振る舞いが、戦後の国民主権の世の中で一般国民として育ってきた人に可能だとでも思っているのでしょうか。
上皇后陛下は平民から初の皇太子妃として皇室に入られ、厳しい自己研鑽によって、まさに国母となられた方でした。しかし、その上皇后陛下でさえ、いえ上皇后陛下だからこそ、「天皇陛下のご存在は全く別次元である」と認識され、皇后時代、天皇陛下とご一緒の御陵に葬られることに対して尋ねられたとき、「上御一人(かみごいちにん)」たる天皇陛下とご一緒の御陵に入ることはあまりにも畏れ多いとご辞退されました。皇后でさえ、天皇に対しては妻である前に臣下という立場になる、それくらい別格のご存在なのです。
峻厳にして孤高の天皇の在り方は、直系の長子にしか理解できない次元のものなのだと拝察します。上皇陛下が愛子様を次代の天皇に望んでおられるのは、こうした理由もあるのではないかと思います。
このように、皇族と天皇でも全く次元が異なるご存在ということすら、男系固執派は分かっていない。また、天皇のご存在がいかに奇跡的でありがたいことかも微塵も理解していないから、易々と、「20世600年離れていようがいきなり皇族になれるし、天皇にもなれる。男でさえあれば」と言えるんでしょうね。天皇のことを、長く歴史が続いてきただけの、人権意識の高い領主やお貴族様程度にしか認識できていないとしか思えません。
施氏もその他の「天皇は男系男子しか継げない」派の方々も、もう少し真面目に歴代天皇のご事績や、それを可能にした精神的バックボーンについて勉強し、想像を働かせるべきです。