丑三 やギ の削除コメント


MeToo 運動が広がった時は、えー、これで罪認定されてしまうのかと危機感を覚えました。権力を使った隠れた犯罪には憎悪を持っていますが、当事これは余りにも乱暴で、承服しかねる考えだったのを(そう言えばと)思い出します。隠れた犯罪は、そうで無くても立証が難しいです。それを告発ひとつで、何年、何十年前の事が、糾弾を利用して断罪されるのは法社会の危機だと考えていました。

この中で一人に対して、複数の告発があったのもあります。加害者の生きているうちに告発してはいるものの、社会的地位を失った加害者たちは、どんな証拠を以って、どれだけの検証が為されているのか疑問でした。(この辺は情報不足です。)これが日本に入って来ているのは不味いと今でも思っています。それなのに、ジャニーズの被害者に同情して、この立ち位置だけに埋没して、人権真理教に、どうして己ははまってしまったかなと思います。自己洗脳も恐ろしいです。

ジャニー喜多川には相変わらず嫌悪感が抜けていません。気持ち悪い。どうも此奴に告発者たちの卑怯だとか、恩義だとか、功績などの明るい語を使って、ジャニーズ喜多川の光の部分を語られると、反発心から人権真理教の元がうずいて、己にとって話がこじれます。但し、ジャニーズとして花開いている文化が根こそぎ倒されるのは大衆文化の損失です。この点、ジャニーズ喜多川の人格(小根、正体、本体)と築いた文化は、やはり、分けるべきです。ゴッホなど、文化の大成者には異常な性癖を持つものが少なくありません。こうした性癖とは別に、描かれた絵の(築いた芸術文化)が否定されたら世界の大損です。

ジャニー喜多川の犯罪を今更、検証するとしている第3者委員会の弁護士たちは、全容の解明を求めていないと話しています。それはそうです。大体、出来る事は、ジャニー喜多川の男色を自身の事務所内でやっていたのを結論付けるくらいと思います。ジャニー喜多川の名に泥を塗ってやる事は、ほぼ、今の段階で成功しています。

では、次に何が出来るかと言えば、芸能界の性被害に対する駆け込み寺を組織する事くらいでしょうか。権力から逃れて告発しやすくすると言った場所です。しかし、若い子たちや、立場の弱い人たちの告発の利便性が、どれだけ機能するか分かりません。被害者が、ボイスレコーダーなどで現場の証拠を押さえてあるなどが問題になります。伊藤詩織さんの場合のような目撃証言や、監視カメラなどの証拠は期待できるかどうか。こうした場所が組織されればされるほど、法的問題になります。これでは告発だけでは難しいです。これを世間の糾弾で補おうとするのは法治国家として危ない行為です。

そして何の形であれ、駆け込み寺が完成したとして、そこで訴えられなければ、後になって告発する大義は永遠に失われます。

日時
2023-07-21 19:52
投稿者
丑三 やギ
記事
「〈性自認〉の曖昧さを保守としてどう捉えるか?」小林よしのりライジング Vol.475
No.
117