最近なんの気なしに目に入った手塚治虫のブッダを十何年ぶりによみかえしたのですが、ブッダも何十年と連れ添っている弟子が教えを理解していないと感じたり、故郷の釈迦族の人々も教えのとおりにいかずに滅んでしまうことに苦悩をしていました。まだ弟子の中にはブッダに成り代わりたいと言って暗殺しようとする者も。
普段ライジングやブログを見るだけの私には、ブログが物々しいのを感じるだけで何が起こっているのか存じ上げませんが、ブログからみて取れる情報が何だかブッダで見たやつだなと思いました。
思想、教えを授かっても、それを生き様に昇華するのは簡単ではなく、その人のそれまでの人生や日常、世間はどうしたってついてくる。必要とあらばそれを捨て去る勇気も持たなければいけない、一人でいても寂しくない人間にならなければいけないのでしょうが、こんなことを書いている自分もまだまだそんな次元の読者ではなく、それでも小林先生の作品に触れ続けて少しずつでも精進して行きたいと思います。