今年は『変身』のフランツ•カフカ没後100年らしい(朝日新聞『天声人語』より)。自分も若い頃に読んだが、紛れもなく巨大な昆虫を頭に描いて読み進めていた。しかしどうやら、昨今の邦訳では、より原文のドイツ語に近く、虫ではない可能性も秘めた小動物やネズミのような有害動物をも指す単語の訳になってるようだ。作家のカフカ本人はあらゆる出版社宛に、その表紙に「昆虫そのものを描くことはいけません」という手紙を送っていたとか。それは読者にわかりやすいイメージを植え付せない為だそうだ。
今朝のまいこさんのGJ『「光る君へ」と読む「源氏物語」』の記事での、紫式部は敢えて光源氏の容姿を克明に書く事はしなかった。それは読者にそれぞれの想像力を持たせる為ではないか?と書かれていたのとダブりました♪文章での読み物に、その楽しさがあるのは間違いありません。女性はそれぞれのイケメンを思い浮かべ、野郎は自分より若干ブス男を思い浮かべながら溜飲を下げたりw。しかも時を超えて想像力は健在です☆
一転、漫画となると、そのキャラクターのイメージはわかりやすく設定される。が、よく言われている通り、上手かろうが、下手だろうが、自分の絵を確立した漫画家はそれだけで成功してると言える。それだけで、その作家の世界観に引き摺り込んでいるようなものだから。その作家の描く、読者に与えられるそのキャラのイメージが、とても美形と言える容姿じゃなくても、カッコいい!と思わせたり、美しい!と思わせられる(貧ぼっちゃまや茶魔がカッコいい!蜜子が可愛い♡と思える瞬間があるのと同様)のは漫画ならではないか?と思えるのです。その辺の違いが、とても面白い♪と感じました。
まいこさんの解説を読んだ上でドラマを観ると、その登場人物の心の襞も、よりわかるようで大変ありがたいです☆