作家や文学者には、漫画やロックなどの大衆芸能に対する偏見が根強いと思います。漫画がコンテを考えてペン入れをして編集者を通して印刷や製本をするという手間ひま掛けて流通に乗せているのに対して、小説などはただ原稿用紙やパソコンのワードに作家が自分の印象だけで文章を書いて、それをほぼ作家が書いた通りに表現されてしまうので、例えば読者による人気投票の洗礼を受けずに、作家の私的見解がそのまま作品になっています。
私の個人的見解ですが、日本の文壇は寺山修司と三島由紀夫以来、大した作家を出していないと思います。私自身小説家を目指していた時期もあり、文学賞に投稿して様々な文芸雑誌を読んでいた時代もあったのですが、どう考えても作家のマスターベーションでしかない作品しかなかったような気がします。戦後民主主義が浸透した結果、「私」の領域が広くなりすぎて、「公」と「私」の緊張関係がなくなって私小説の意義が薄れてしまったというのも無関係じゃないでしょう。
物語を作れなかった作家とよばれる人種は、村上龍みたいに芸能人になったり、大江健三郎みたいに左翼の言論人になったりしながら生きながらえるしか食い扶持を稼げていないと思います。作家はサブカルではない、という驕りが自分の言論が絶対だと思って居丈高になってプライドの塊になっているのが現状なのかもしれません。
たとえば文章を新聞のエッセー欄みたいなところに書ける権威や権力があるから、作家は自分が世論をリードしてるという間違った自負を持ってしまっているのかもしれません。そんなプライドが高い人種にとって、現実を見せて大衆に刮目させるよしりん先生の存在はうざったいでしょうね…。