こいら の削除コメント

よしりん先生の、よしりん先生と宮台氏の意見の相違に関するブログを拝読しました。
私もゴー宣道場の動画を見ていないので、よしりん先生と高森先生のブログの内容から考える立場ですが、そもそも宮台氏の「日本は他国に対して(事実の相違はあれ)時には土下座して重武装への道を進んだ方がいい」という意見はいかにも「和を以て尊しとなす」という日本人固有の考え方だな、というのが私の率直な印象です。
日本国内では共同体の和を乱し自分の立場が危うくなった場合、土下座を含め公式に謝罪して矛を収めることは当然のこととされています。
それに対し、例えば欧米では共同体や世俗的な国家が個人の個を侵すような場合には、例えば個人に非があったとしても安易に謝罪するような社会ではないはずです。
欧米の国民国家も、この欧米特有の「個」と「共同体」ないし「世俗的国家」の緊張関係がベースになった価値観で動いているので、ある国家がある国家と仮に戦争になったとしても、その戦争責任について具体的に謝罪することはないと思います。
例えば国家間に起こった事件で、道義的な責任がある場合には国連などの国際的機関がその責任の所在について調整し場合によっては制裁するし、それが宗教的な、あるいは倫理的な罪にあたる場合には教会が裁く、という歴史があるのです。
また、この世界にはキリスト教圏以外のイスラム教の国家もあるし、仏教の国家もあるし、インドなんかはヒンズー教徒もいるので、全ての国家に対して共通する「謝罪のルール」というものは存在しないと思います。
しかも、日本は大東亜戦争後の占領政策によってアメリカに主権を奪われた時期があり、今でもアメリカを中心にしたアングロサクソンの価値観に無理矢理従わされているという一面があるので、自立した一人前の国家だと言えるのか疑問があります。
日本という国が土下座を含め、謝罪をして非を認めることが、たとえば国際的に道義的な責任を免除してもらうことではなく、アングロサクソンの理屈に従うということと同じ意味だと思います。
また、中国や韓国についても、戦後はアメリカを中心にした旧連合国の側についていると見ていいので、慰安婦の問題で日本が謝罪して非を認めることが、アメリカを中心にしたアングロサクソンの価値観を受け入れたと国際的に認めることになるのです。
仮に宮台氏がおっしゃるように「国際社会に土下座して重武装を進める」という立場を日本が取ったとしても、アメリカをはじめとするアングロサクソンの国家がそれを安易に認めないと思います。例えば米軍を全て追い払って、NPT体制から脱退して日本が核武装をするようなことになれば、同盟国であってもアメリカは当然警戒するでしょう。
日本が単独で防衛して自立した国家になるには、それこそ血を流す覚悟でアメリカをはじめとする諸外国と何度も交渉して、面倒でも日本国民のコンセンサスを取って、与野党が真剣に議論して、場合によっては憲法を改正して臨む覚悟が必要だと思います。生半可な気持ちで土下座して重武装ということが果たして可能なのか、疑問が拭えません。

日時
2015-05
投稿者
こいら
記事
「安保法制:『砂川判決』は合憲の根拠となるのか?」小林よしのりライジング Vol.137
No.
56