本当にそれが血の叫びであるというのなら、一度読めば誰にでも伝わる言葉で訴えますよね。伝わらなければ行動の意味が無に帰してしまうのですから。その行動が無駄になってしまうと永遠に自分らの苦しみが世間から忘れ去られ、その地にはその苦しみが継承されてしまうのですから。
自分が小学生の頃に読んだ公害の本(タイトル失念)に掲載されていたモノクロ写真に記録されていた水俣病のデモの様子は正に「決戦の場」でした。その写真に写っていた幟や横断幕の筆文字を見た時はつい思いました「この字だけで人が殺せるんじゃないか」と。静止画だというのに、凄まじい気迫を感じたものです。子供の頃からのデモというものの印象はこれでした。
現在、主にシールズがやっております行進と掛け声だけやって、ほとんどの日本人に伝わらない白人言語が書かれたプラカードを掲げながらのデモなんて、一体なんの意味があるんでしょうか。終いにネットスラングなんて使うようでは世間から「ただのバカの遊び」と認識されても仕方ないことだと思います。
今週の配信もありがとうございました。