正直な話、シールズもネトウヨと同じになっているな、と思えるのです。
私は法学部の政治学科に在籍していましたが、同級生の中には就職しないで政治運動に(左右関係なく)のめり込む人間が少なからずいたのです。政治学の知識や理論は例えばマスコミの現場などではそのまま使えるかもしれませんが、一般企業などの場合はむしろ知識や理論より政治的な感性を求められる現場だと思えるのです。シールズやネトウヨは政治的な知識は(偏っているかもしれませんが)あるかもしれないけど、政治的な感性はあまりないような気がするのです。
仮に政治的な理論や知識があったとしても、それをそのまま生かせる現場はそれほど多くないような気がします。むしろ一方的な政治理論を頑なに持ったまま社会に出ることは、逆に不自由な生活を強いられる危険性もあると思います。
政治ということが例えばイデオロギーの問題も孕んでいるので、生産の現場ではあえてイデオロギーを隠すというか表面化させないことで私たちは日常生活の知恵として持っていると思うのです。仮にシールズの構成員がこのまま社会に出ようとすると、現場との齟齬が生じるという懸念があると思います。社会の現場はそう甘いものではないのです。