叢叡世 の削除コメント

先生の新戦争論1のたった一コマでも取り上げられてましたが、私は別にハロウィンに関してもういいやと思っています。
何故あれが受け入れられて、逆にバレンタインデーが衰頽して行ったのか考える必要がある…というよりも最早判り切った事だから考えるまでもないですね。

何故急にあんなものが入ってきたのでしょう。

丁度去年辺りでもこのライジングでも取り上げられてましたね。

本当だったら20年前くらいに定着していた筈でしょう。

でも、中々定着しなかったのは、ハロウィンでアメリカに留学していた服部君が撃ち殺された事件がありましたよね。
あのイメージがあるから、訪問すると言うことが憚られてしまったのだと思います。

バレンタインはリスクがあり過ぎます。

殺されるまでもないですが、どう言う訳かチョコあげるという意味不明な行事になってしまいました。
バブルも相俟って見返りの高額商品を期待させたり、断られたときのリスクや無碍に断るわけにもいかない義理チョコのシステムを強制させられたり、チョコさえもらえない人々にとって何一ついいことなんかありません。

日本国民はようやくバレンタインが日本に合わないことを数十年かけて気付いたようですよね。

非正規雇用もほぼスタンダードになって勤務先での交流も稀薄になって、義理さえ贈る理由もなくなってきまたしたよね。

商売人もバレンタインをどう切り抜けるか必死こいているみたいですよね。

それならば、商売人も売れないバレンタインよりもワインだけの秋よりも誰もが参加でき誰も不幸にならないようなハロウィンを推すでしょう。

日時
2015-09
投稿者
叢叡世
記事
「断言主義から放言主義へ」小林よしのりライジング Vol.152
No.
42