武藤 の削除コメント

配信ありがとうございます。
日本国憲法に対しては敗戦後にGHQから贈られた素晴らしい憲法と教育されてきましたし、国民もそれに基づいて行動しなくれば!と洗脳されたのが
いまでも続いているようですね。
色眼鏡なしで日本国憲法が求める個人を考えてみると、「国家権力が暴走しないように縛りをかけておいたから、国民の行動は自由である」
国民各人が自由に行動するための権力を規制するのが憲法なわけですからね。国民は公共の福祉に反しない限り、自由な行動するべし。
憲法が国民に求めているものがあるとしたら、これでしょうな。
さて、シールズとシールズを絶賛する高橋源一郎です。シールズは憲法に規定されている自由権を行使して民主主義的なデモ行為を行ったわけです。
民主主義真理教があるみたいですが、アリストテレスの時代から民主主義は腐敗するというのは言われてきたことです。デモクラシーは政治的知識を持たない馬鹿な愚民のお祭りであるいう認識でした。
法の精神を書いたモンテスキューが理想とする民主制、共和制は古代ギリシャのごとく「選ぶ側」、「選ばれる側」それぞれに良識があり、選ばれる側の人間も事前審査を行い、役職が終わった後も追加で仕事内容をチェックする。選ぶ側はチェックはするが、政治問題に首を突っ込まない。相互の信頼関係が民主主義にとっては大事なわけです。
今の政治デモを見ると、モンテスキューが想定しているチェックする側とチェックされる側の能力が一切問われないデマが満悦する最悪の民主主義と言えると思います。


日時
2015-10
投稿者
武藤
記事
「憲法に理想や道徳は要らない」小林よしのりライジング Vol.153
No.
40