こいら の削除コメント

よしりん先生がシールズに媚びる年寄りを叱るブログを書かれていて、ふと自分の大学時代を思い出しました。
私は法学部にいたのですが、文系でありながら授業内容は難しく、単位が簡単に取れる大学ではありませんでした。
毎週、様々な欧米の思想家や政治学者、社会思想家の本を読んでレポートを書かないと単位がもらえず、その授業は必須科目で落とすと卒業も就職もできませんでした。
カントやヘーゲル、ハンナ・アーレントやフッサール、マックス・ウェーバーやマルクス、フォイエルバッハ、トゥグウィルなどの、日本ではあまり知られていないような哲学者や思想家の本を、ある程度精読してしかも当時の日本の政治状況と関連付けて論じたレポートを書いて提出しないと出席扱いにならないという厳しい授業です。
もちろん、担当教授は政治学並びに西洋思想や哲学、法律学等においては権威とも言える方だったので、いい加減なレポートをだらだら書いて出しても単位は貰えません。
私はアパートで一人暮らしをしていて、仕送りも少なかったのでアルバイトを夜遅くまでやって、それから毎日のように図書館に通って参考文献に目を通し、大学近くの古本屋を回ってそれらの思想家や社会科学者の日本語訳の本を探しまくってできるだけ安い値段で買うことに腐心した大学生活でした。
それからその後に政治思想史のゼミに入ったのですが、これだけの予備知識があっても、ゼミで議論したら知力に勝る同級生や先輩方にコテンパンに論破されてしまうことも少なくなかったのです。
今思えば、そこで鍛えられたので、よしりん先生のゴーマニズムについていくだけの頭の下地が出来たのかもしれません。
バブル経済真っ最中の時代の大学生活で、遊んでた同級生もいたのですが、単位を落としまくって留年していました。たとえ社会や政府に不満があってもデモ行進をやる大学生は周りにはいなかったです。そんなことをしてたら卒業はおろか進級もできない厳しい大学だったので。
社会に関心を持つにせよ、素手で挑めば怪我をします。その意味で単なる知識にとどまらない真の教養というものは武器になると思います。私は否応なしに教養を身につけられる環境の中にいたのですが、あの頃は嫌々ながら読んでいたカントやヘーゲルやフッサールなんかも、大人になって読み返してみると凄く面白かったりするので不思議ですね。

日時
2015-10
投稿者
こいら
記事
「下着ドロ大臣を見逃していいか?」小林よしのりライジング Vol.154
No.
87