「自民党が120万党員確保へ強権発動〜」の記事を紹介されて、先日、再選した静岡県知事 川勝平太を思い出しました。学力試験で全国最下位だった結果に激怒して、成績が悪かった100校の校長名を見せしめに独断で公表しようとした者です。文科省の実施要領に違反して批判が起こりました。
川勝平太は、かなりの高学歴です。高学歴の天狗猿というのは数値の上下は見ます。しかし、質や人品については全く考えないのです。数値は合理的と信じても、複雑な人間性に対して、己を含めて全然信用していない証拠なのだと思います。人間性に信用が無いから、人間を機械的に扱って非人間的になるのは、皇室に対する下賤の態度と共通しています。
前回のライジングのコメントNo 169 は、ぼぐのコメントです。
トッキーさんのブログ
2017/06/26
『「堕落」ではない、松っちゃんのこと。』
この最後尾に有るトッキーさんの言い切りを額面通りに受け取って、ぼぐは、トッキーさんにツノを向けました。「人志ちゃんは、パワハラ議員を擁護しても己の非常識を芸に活かしているから許される。非常識な芸人をコメンテーターにやらせている番組制作者の方が悪い」と読めたからです。(実際に、こう読めて判りづらかったです。)
しかし、すぐ次の、そーなさんのコメントで、トッキーさんが逆説的批判の為に書いたのだと気付いて謝罪しました。しかし、撤回する部分は、トッキー批判の部分だけで、他は撤回しません。
ぼぐが額面通りに受け取ってしまった経験は「戦争論」は、右ヨタろーの生みの親と言っている人たちと同じです。「戦争論」を額面通りにしか受け取れず、思考の広がりと昇華が出来無い思考の典型と思いました。
その、そーなさんもブログ記事の批判から、人志ちゃんの番組評価に移ると様子が変わりました。
「正確な情報をに基づいて議論したい」
「安倍憎しが故 の思考停止はしたくない」
としながら、人志ちゃんは「パワハラ議員の擁護は(そんなに)してない」としています。
番組事実を確認すると、よしりん先生やトッキーさん、ぼぐの後に議論を続けてくださった人たちのように「事実に基づいて」人志ちゃんは、安倍やパワハラ議員を擁護する下賤者と、ぼぐも判断しました。こう判断するしか無い内容です。そーなさんの判断は御自由で構いません、
本当は傷付けてしまうので申しわけ無いですけど、己の事でも恥をさらしたので、はっきり申します。そーなさんは、人志ちゃんの熱烈的ファンで、身びいきをされたと思います。
これは、右ヨタろーに道理を尽くしても話の筋が通じ無いのと同じです。身びいきで、事実を直視せず、頭脳の中で都合良い筋に変換してしまいます。結果、安倍晋三なんぞの下賤をのさらばせて日本を駄目にしています。
以上の教訓から定義です。常識になります。
1 額面通りに受け止めず論考は深く考える
2 身びいきで道理を都合よく変換解釈しちゃ駄めぇ!
3 己を捨て事実に沿った話の筋(道理)に従うべき
但し、下賤な道理は拒否すべきです。
表現の境界については難しいです。
ただ常識の杓子定規として
1 表現に刺激されて妄想とするな
2 妄想を現実に言動として移すな
3 表現の世界と現実の世界を分けろ
表現の世界は、頭脳中の架空のものでしか有りません。しかし、論考分野は知性を鍛え、芸術分野は感性を育みます。娯楽の要素も有ります。表現を考える時、知性、感性を向上させ、娯楽趣味の分野で心を豊かにさせます。表現の境界で己を律する事も覚えます。また、具体例で、物事の判断を予測させ明確にさせます。
要するに人間を良くするのが表現です。ここで現実と表現の世界は一体化します。表現の世界で、現実世界は富むのです。表現の規制が多いと、人間の幅を狭くします。
これでは感想で無くて、どうでも良い一般論ですね。