議論とは、問題を賛否の立場から批判反論、肯定賛意を経て、正道を探求するものです。中間論も出て来て当たり前です。そして互いにどうするかを決める事です。議論の過程に変遷が有って当たり前なのです。
過去の発言に拘泥する者は議論を知らず、その意味さえ考えた事も、夢見た事も無い小見、小聞と言うより無頭脳でしか有りません。
この議論の意味を知らないから、 99 %の有識者の反対が有っても考慮せず、委員会採決など省略して、強行採決を繰り返し、法律手続き上に問題無しだから正当とする下賤が誕生しています。己のみが正しいと信じて疑わないカルトと同じです。
法治には、道徳という不文法が無ければ成立し得ない格好の標本です。本来、公務の宣誓で、これを自覚しているはずなのに、権力を手に入れれば忘れてしまう増長満です。
これが安倍晋三と追随する者どもです。過去の教訓を活かさず、現在を見ず、未来を見通さないので、破滅は決定的です。
こうした自民連中が、自己保存の為に分裂し始めた見解に賛同です。単に当選したいからだけでは無いでしょう。
まさに、悪性腫瘍です。これを、どう取り除き、叩き潰し、根絶やしにするか大問題です。
一番なのは、有権者が覚醒する事です。しかし大衆は、愚かな商業主義の報道になびくだけです。呼べども、振り向かず、己を省みず、問題を目にしながら、実際は、目先の損得だけの大衆は、如何にもし難いです。己の頭に火が着くまで分からない。しかし、己の頭に火が着いた時は手遅れです。いっそ、大衆の頭に火を着けても構わないとさえ思います。