生きたいと言う気持ちを否定出来ません。
植物人間になった息子を安楽死か、何か始末の付いた方がよいと言う者に、母親は涙の猛抗議をしていました。また、自死を未遂し、フランク永井のようになっても、それでも生きていてくれてよかったと言う家族のいました。老衰していても、生きたいと言うのも有りと思います。これを執着とするか、希望とするか、その人の身にならないと決め付けられません。己が死を宣告されても気の動転しないなら容易に決め付けられるでしょう。
まい、仏教的に言えば間違い無く執着でしょう。
世の道理はわきまえていてもらいたいとは思います。
ところで、己だけでも永遠に生きられるとなったら、人は己だけでも永遠に生きるのを選ぶでしょうか。それとも、愛する人たちと共に、生き返る事が無い絶対なる永遠の死を選びたがるでしょうか。
全く有り得ない質問です。しかし、家畜の言うのも何でしゅの、あくまで哲学的質問として最終的に人によって、どちらを選ぶか興味の有る所です