南青山D.J の削除コメント

拝見いたしました!
よしりん先生の「標準化・属人化を考察する」おそれいりましでございました。
現実としては未経験者にとってはある程度のマニュアル化は必要です。ですがそこからプロとしてやっていくためには
いかなる職業でも属人化はしていかなければなりません。(そういう意味では「よしりん企画はプロの集団」ですから、それをマニュアル化してどうするんでしょうか?)
…だったんですが、現実にはマニュアルが固まりすぎてそこから外れたことができない、すなわち応用や工夫が全くできない人は多いんですよね。詰め込み教育時代の時もその後のゆとり教育時代の時も「知識はあるのに応用ができない」ってのが問題になってたりしますからねぇ。
それには教育課程での勉強の姿勢も影響してますね。結構多いのではないでしょうか?「勉強=知識の暗記」と勘違いしてる人。そして「人の言うことを聞く=自分で考えることをやめる」と思ってる人。

そして、もくれん先生の今回の、爆笑させていただきました!今回のSPA,FLASHと合わせて見るべきですね!(いやほんと名作!)
人間なんて一長一短なのに、勝手に傷ついて、改善したり開き直って決して前向きにならない。
勝手に排除されたと受け取って、最終的には「自分を排除した社会」に抗議したり恨んだり復讐したりして生きていく。
そこに「なにくそ!」とふんばって生きる力はないし、
「被害者である」ことを武器にして「これ以上の被害なきよう」それ自体を消滅させるために規制していく。
なにしろ「いじめの原因になるから」という理由で『あだ名禁止』の学校まで出てしまったのですから!(ってことは「貧ぼっちゃま」は完全にアウトですやん!(笑))
…こんな人たちが増えたのは「いじめの定義」の帰結だと以前書きました。
「被害を受けたと思い込んだだけで『いじめという犯罪が成立する』」
「被害者は100%正しい、加害者は100%悪い、何もしない傍観者も同罪」と。
これを幼少期の頃から学校などでさんざん詰め込まれ、さらには事件が起きるたびにTVなどでコメンテータが力説。
自覚なくとも、いつのまにか宗教のお題目のように遺伝子に刻みこまれてしまったのではないでしょうか?だからこそ、
「自分が『傷ついた=いじめられた』となったら徹底抗議」
「被害者である(=いじめられた)自分様は100%正しい」
「100%正しい自分様に対し『おかしい』という奴等(=いじめ加害者)は100%の悪」
…となってしまうわけです。
何しろ自分勝手な理論であっても「100%正しい」ということが保証されると絶対引きませんよ。昔からある宗教テロなどがまさにその例。
そして「自分は絶対正しいのに世の中が悪い」「自分がこうなったのは自分のせいでなく自分をいじめた世の中のせい」と主張してテロ行為をやる事件が次々と日本でも起きてるではないですか。新幹線内にしろ低脳先生にしろ。
オウムにしても「自分は被害者である」ことを自分たちで強調してテロしてるんですから。
さらには誰もが弱者に転落してしまった場合、あるいは不幸に遭遇した場合、その
「被害者は100%正しくそれを助けなかった人間は100%悪の犯罪者である」と理論にしがみつかないと保証できますか?
どっからどうみてもそれは被害妄想なのですがそれは「いじめの定義」によって正当化されてしまいます。

また、やぎ氏のコメントから行きますと、「いじめの定義」が定義として認められたことが問題なのです。
残念ながら「いじめの定義」の怖ろしさを理解していないといわざるをえません。
何しろ「いじめられたと主張した人間が100%正しく、加害者及び傍観者がすべて100%悪の犯罪者」なのですから、
適用されれば「いじめ被害者の意見がすべて正しく、加害者や傍観者の意見はすべて間違い」ということになり、
やぎさんの上げた例の結果としては全員暴行恐喝障害教唆隠蔽などで逮捕ということになり、学校も隠蔽そして犯罪放置として教師も逮捕そして廃校でしょう。ですが今のところそうなることはなく、(当たり前ですが)
だいたい嫌ですよそんな世の中。
しかし、その思想を信じてしまったバカな人たちがそこに脅迫したりいやがらせしたり襲撃したり…実際大津では教育長襲撃が起きています。何しろ「いじめ被害者は100%正しく、加害者とそれに味方するものは100%悪い」のですから、イコール「100%悪の加害者に制裁する自分は正しい」と言う事になるため、そういう人の歯止めが全くなくなるのです。
…こんなのばっかになってしまった人が「圧倒的な力」を手に入れた場合、どうなるかは考えるまでもないでしょう。
「誰もが「傷ついた」と主張する社会」というのはそういう人か増えた証拠でもあります。

たしかに「いじめの定義」は一時的には被害者を救ったでしょう。
しかし結果として『被害者真理教信者・依存症患者』を大量に増やしてしまったのではないでしょうか。(そういう意味で「いじめの定義」に関する話は結果論なのでやぎ氏の主張とはもともと論点がずれています。)

よしりん先生ははっきりと「傷つくという主張は甘え」と書いています。
だから「どんな境遇の人間も「なにくそ」と戦うしかない」と。
その「戦う意志を棄てて『傷ついた』と主張」して自分に都合のいい世界に依存して甘えて逃げるようになってしまってはおしまいなんです。

日時
2018-10-04 09:34
投稿者
南青山D.J
記事
「属人化と標準化を考察する」小林よしのりライジング Vol.287
No.
62