天皇陛下の御誕生日を御祝い致します。
陛下の御会見の様子は、これまで抑えておられた感情を表出され、昭和から平成の日々を思うと、涙を誘われ、また腹わたよじれる思いでした。
皇室の存亡の危機にある今、皇室の未来について御言及の有るかと心の裏では、ほんの少しだけ淡い思いを抱えていたのですが、言明は為されませんでした。ああ、やはり憲法に書かれている事以外は御話になれないんだなと思いました。非常に忸怩たる思いです。
これまで陛下は、憲法に定められた御役目を一身に一心を込めて御勤めに励まれて参りました。沖縄で火炎瓶を投げられても、御意志を曲げずに何度も訪問されました。陛下の心底からの世界への慰霊の旅もそうです。
しかし、それを目にしているのか分からぬ者がいます。陛下を機械人形扱いにし、また一方では、戦争をした責任を声に出して謝罪しろと言う者もいます。
世に生まれる前に、知らぬ間に戦争が行われて、それを引き受けなければならない身の上で(歴史上、必然な事実でも)己の何処に責任の有るかと一度は懐疑心を抱いた人は少なく無いでしょう。陛下も本来は同じ御立ち場でも在るとも思います。
それでも歴史を受け継ぎ、慰霊の旅を渾身から心を体に現して御勤めあそばされて来た陛下です。この陛下の御誕生日に、上記のごとき言を、よくもぬけぬけと言ってのける神経が知れません。謝罪するなら己で行えばよいです。腹に一物あるなら政府に言うべきです。何を狂人のような戯事の舌を回すのか。ある時は機械、ある時は人になれと言い、憲法で、陛下を縛り上げながら勝手を申すなと聞かせたいです。
国を思うなら、国民と政府が一体となってやらねばならないです。陛下の御勤めを拝見し、それに我々が御報いしなければならないはずです。何をとち狂っているのかです。
特に皇統の安定的継承において、まず陛下の御恩恵に御報いしなければなりません。それに関わらず、男系がどうの、Y遺伝子がどうの、万世一系の国体とはどうの、一向に議論を進めません。
よく丁寧な議論をとか、国民に理解されるようにとか、ここで名前を出したく無い者が舌を回します。
しかし、議論の前提が初めから崩れておれば、丁寧な議論も、理解されるような合理性も、いくら一生懸命にやっても全ては無意味です。全くの無駄です。
己は、ここに無性にツノを向けたくなっています。ライジング版流行語大賞に、虚無感を表すトカトントンには投票をしていませんが、やはり、他の方々と同じ思いを共有しているようです。
つまらぬものに一刻で広い視点を持たない代議士、有識者と名乗る者が、圧倒的大多数です。まことに到らん、つまらぬ事に執着しています。固執も甚だしいです。
これは代議士、有識者の能力が低い者が占めるのもさる事ながら、国民が余程の能天気です。全ての悪の根源は、ここに有ります。恥を知れです。