また上で、いじめ定義について「被害者は100%正しい」とか「などなど」書いてるよ。だから、いじめ定義は調査されて、検証過程が開示されて初めて有効になるんですって。いじめ定義についてデマとするのは、実際に機能はして無いからです。
普段、いじめ定義について教育現場で広がっている強迫観念を言っているのでは有りません。
そこで、いじめに対応すべき輩が何も対応せず、重大事態が発生したら、責任を負わされるので、逆に拍車をかけて隠蔽封殺に躍起になるのが問題なのです。
被害者ヅラ(強迫観念)の最大効果は、加害者に対応すべき無責任の輩に効いているのであって、被害者とは「反対に」加害者を利しているのです。
時々、被害者ぶって被害者ヅラ全開の苦情激しい増長慢の迷惑者はいますけれどもね。この問題は別にしています。
なして分からんかいなぁ。
過去に、ちょこっと いじめ めいた事をしたら(または疑われて)こっぴどく叱られ謝さられた経験でも有るんかいなぁ。これを逆怨みしているかのようです。DV、いじめ、虐待野郎の心理に通じています。
この「仮定としての」逆怨みは、『加害者』の「被害者意識」を全開にしている「ようなもの」です。つまり、悪さをしながら被害者ヅラになっているのに、己で気付いて無いかのようです。これと同じ心理と少なくても気付くべきです。
要は、被害者ヅラは誰と言うべきか、よくよく検討して見る事です。己のツラは己の眼で見えないから心の鏡を有効活用しちくんしゃい。
いじめは虐待です。虐待は いじめです。同じです。暴行、恐喝、傷害、殺人、名誉棄損、犯罪教唆、侮辱罪という厳然たる犯罪になり得るので、その芽はつまんで引っこ抜くべきは当然な仕置きです。エスカレートが恐ろしいのです。そして傷害、殺害に到れば逮捕になるのは当然です。
分別皆無ですね。「私リカちゃん」とおんなじだぁ。この「一点のみは」通じず分かり合えないな。モウ、それでいいです。つまらん点に因業にべたっ〜と捉われていても無意味です。この一点では永遠に離れ合って行きましょう。誰か言って来たエアなんとかってもんで済ましましょう。実際、そうしているよ。
みなさんには横道そらして、ごめんしゃい
千葉県 野田市の10歳の女児が、父親に虐待の上、殺された事件で「私リカちゃん」や安倍晋三に共通している事が有ります。
どんなに法律や制度を整えた所で、国会、官僚、教育委員会、学校行政の現在のままでは、全ては無意味です。何故なら「腐った役人の溜まり場」だからです。どんなに教訓とすべき事案があっても素通りの素通けです。
こうした者どもが雁首を並べ過ぎているので十羽一絡げに書いています。無慚愧な所業は、公僕の全てでは無いのは承知しています。
ただ、公的難題を「現在のままでは」市町村が取り組もうが、都道府県で関わろうが、国が出て来てやっても変わりません。安倍晋三を見たり、中共の憲法を見れば分かるはずです。無頭脳下賤な役人が関わっていれば、包装は立派でも、中身が腐敗した者どもが出て来て無意味です。
立憲民主党が、鉢巻締め直して、腹わたでんぐり返す勢いで、立憲的改憲に臨まなければならぬのと同様、いきなり高度一万メートルからダイブするくらいの気概が無ければ、色々な社会問題は解決しません。既成の組織や、新しい法律、改まった制度だけでは上手く行くはず有りません。
このまま、スローガンだけなら、立派な包みが壊れないように、隠蔽、捏造、虚偽、怠慢に拍車のかかるだけです。もう標語作りのような建前だけでは是正は不可能です。まい、当たり前です。
悪弊は保身から来ています。こうした者どもは要りません。任せておきたく無いです。
ほんにね、にっちもさっちも行かなくなって、何とかしようとあがきながら犠牲者を大量に出さないと、どうにかしようとする動機は起こらず、物事はどうにもならないかと諦めも生じて来るのも仕方無いです。