ううん、例えばこの「居酒屋甲子園とポエムの言葉」の問題が、ニートが社会復帰できないことと関係があると思うのです。
決してニートを擁護するワケではないのですが、ニートの立場としては「なんでわざわざ自己否定をしてまでいわゆる体育会系とかDQNとかの自分よりも確実の頭の悪い連中の奴隷にならなきゃいけないのか」って萎縮して仕事に就くのを諦めてしまう、みたいな気持ちじゃないのかな、って推察できます。しかも、まともな職歴もないし、学歴もそんなに大したことがないニートを雇ってくれる場所って、そういうポエム的な言葉が蔓延している居酒屋などの肉体労働の現場しかないのですね。でまあたとえば厚労省のニート支援プログラムなんかも、単純労働中心なんで実際役に立っていないし。
長田百合子などのいわゆる「引きこもりを更正させて社会復帰させる施設」みたいなのを経営してる人間なんか、いわゆるニートだった若者に「プライドを捨てさせ、社会的な歯車の一員になれ」といって合宿して洗脳するらしいですね。彼女は「自分は引きこもりを更正させて社会復帰させているんだ」という大義名分というか、正義に酔っていて、やってることはオウム真理教と同じなのかもしれません。恫喝や強制力を用いて「自我無し人間」を量産することは、いわゆる「使い勝手のいい労働力」を量産するという今の経団連をはじめとする大企業に都合がいい価値観だとも言えます。
これらの施設のやっかいなところは「社会的に認められている」という大義名分を背負っている、というところなので、そこを批判する人間の意見に聞く耳を持たない、ってことでしょうか。結局、ここでも「右傾化したプラトニズムの言葉」がまかり通っているのです。
それと似たことが、いわゆる自己啓発本の世界にもあって、その作者である浅見帆帆子なんかはブラック居酒屋の首領、ワタミの渡辺美樹と昵懇だし、その他の作者もみんな「アメリカ万歳」みたいな感じでアメリカやアングロ・サクソンの価値観を日本に移植しようとする国賊だと私は思います。自己啓発本には必ず「幸せになりたければ悪口はやめましょう」みたいなことを書いてあります。もちろんそれが一理あるとはいえ、人間の奥底に潜む悪意と向き合うことを避ける風潮を誘導することは、プラトニズムの上滑りの言葉しか話せない薄っぺらい病んだ人間を量産するだけだと思います。
アベノミクスのように、実態は全然景気がよくないのに、空元気で「景気がいい」というムードを作ってる風潮が、今の「右寄りのプラトニズム」を支えてる気色悪さと繋がっている気がします。
いい加減、目を覚ませ、って言いたいな。
長文失礼しました。