ひなたなの の削除コメント

「明日ママ」は直接の視聴者でない人たちの批判によって
番組の方向性が大きく変わることになりました
これは不当な圧力による結果に見えますが
「放送倫理」に照らせばやむ得ない判断です
企業が抗議やクレームに弱いというのも「企業倫理」に基づく判断です
これらの問題を考えるならば現代における「倫理」のあり方を批判しなければならないと思います

倫理と呼ばれるものをいくつかあげてみます
「政治倫理」「放送倫理」「企業倫理」
「生命倫理」「職業倫理」「医療倫理」
原発で問題になったのは「技術者の倫理」
道ならぬ恋を「不倫」と言ったりします

これらに対して「漫画倫理」と言われたら違和感を感じると思います
漫画に倫理はなじまないようです
このように「倫理」はすべてのものについて明確に存在するわけではなく主に社会的影響の大きい分野に限られます

現代において「○○倫理」というのは「○○を行う際はそれによって影響を受ける人の意見を聞き、その人の立場で考える」ということです。

例をあげると
医者は患者に対しインフォームド・コンセントを行った上で患者の立場に立って医療を施さなければいけない
技術者は原発が安全だと考えていても多くの人の不安の声を無視して強行してはならない
学問の自由はあっても生命の尊厳に関わるような実験は社会の同意を得て行わなければならない
配偶者や相手のことを傷つけるような恋愛は不倫と呼ばれ非難される
などが挙げられます

今回の問題では、この放送によって傷ついたという人の訴えに耳を傾けるのが「倫理」であって、第三者がこれぐらい大丈夫だろうと判断するのは「倫理」ではないのです。
原理主義的には視聴者として気分を害したという意見に耳を傾けるのも「倫理」です。
そういった意見を聞いてどうするかは制作者の判断ですが、今回のように社会的な批判が高まれば制作者と視聴者の間で良い番組であるという合意がなされていたとしても、そのまま続けることは困難になります。
これは「売り手よし、買い手よし、世間よし」といった「企業倫理」に通じるものでもあります。

私は今まで「放送倫理」を守ることは正しいことだと考えて発言してきましたが現代人は「倫理」という言葉を保身のために使いすぎているのかもしれないと思うようになりました。

日時
2014-01
投稿者
ひなたなの
記事
「『脱原発は都知事選の争点ではない』は本当か?」小林よしのりライジング Vol.71
No.
65