よしりん先生のスペシャルインタビューを拝見して、益々、この物語の続
きを知りたくなりました。インタビューの中で、福沢諭吉の「脱亜論」につ
いて言及されて、それ以来、日本人の中国、韓国に対する態度が全然変わら
ないと仰っているのですが、『大東亜論』の一コマに、玄洋社員や関係者で
慶應義塾に進んだ者はいるが、大隈重信が設立した早稲田に進んだ者ほとん
どいないという一文がありますが、慶應義塾の創設者・福沢諭吉と玄洋社に
何等かの関係性はあったのだろうか。
福沢諭吉が唱えた「脱亜論」に対して、「大アジア主義」を掲げる頭山満
を始めとする玄洋社の面々がどのような考えを持ち、どのようなスタンスで
あったのか。しかし、それはこの物語にとって枝葉末節な話として描かれな
いかもしれないし、そもそも頭山満と福沢諭吉、この二人、生きた時代は重
複しているが、接点はあったのか。仮にそれが物語に関わる重要な事柄であ
るとしても、描かれるのはまだ少し先の話になりそうですね。その前に、こ
れから第二章で描かれる武士の懊悩についても興味が尽きませんが、『大東
亜論』は早く続きが読みたくなる壮大な物語です。