連投です。
そぼろさんとよしりん先生とのQ&Aのやりとりが興味深いです。
そぼろさんとしては、現代の日本では個人の自己決定権が自明のようにあるので、慰安婦問題や靖国の問題もそれをベースに左翼が唱えていた個人主義に対する保守思想の価値観を相対的に主張する権利がある、という立場で、よしりん先生は日本の国柄に繋がる常識は相対化すべきでなく、偽保守やネトウヨの価値観が公になることは避けたい、という立場なのかもしれません。
もっとも、よしりん先生は保守・左翼といった(あるいは右・左といった)陣営のどちらかの主張を硬直的に受け入れて自分の漫画を描いているわけではなく、そのような硬直化した権威に対する道化の立場を貫いているだけだと思うのです。
もし仮に(こういうことがこれから起きるかどうかは分かりませんが)脱原発派が堕落してしまって、変な左翼思想の知識人に害されて権威主義になってしまったら、やはりそのヤバさを自ら体を張って道化として揶揄し批判する立場を取ると思います。よしりん先生が漫画を描く動機はあくまでもよしりん先生の感性に触れた事象がきっかけだと思うし、それがたまたま今の社会の病んだ部分とか暗部を揶揄し批判して、日本の国柄を取り戻す公共心を持った真理へと繋がっているのだと思います。
本来ならば、このような作業は知識人がやらなきゃいけないことだったのです。ですが、明治維新以降、戦後に至るまで、いわゆる知識人と呼ばれる人種が西欧やアメリカの合理主義に毒されて、日本の伝統や歴史についてあまりにも無頓着で無知であり、社会的な常識や公共心を失ってしまったため、それをあざ笑う立場のギャグ漫画家の方が、理にかなったまともなことを言うようになってしまったのです。その前提を踏まえないと、そぼろさんがよしりん先生に吹っかけている議論ですら本質を見失いかねないと私は思うのです。
日本がまともならば、よしりん先生もゴー宣を描く必要もなかったし、もっと面白いギャグ漫画に専念できたと思います。
いわゆる自己責任とか、自己決定権とかというアメリカ発の合理主義の言葉に毒されて、日本の政治家や知識人とそれを支持する大衆の方がおかしくなっている、というのが現状だと思うし、もっとそれを私たちも自覚した方がいいとは思いますね。
長文失礼しました。