サトルさん
基礎医学研究者でございます。コメント興味深く、読ませていただきました。下記の点に関して、私のコメントでございます。
(私見ですが……)科学は「よい理論(仮説)」から「よくない理論(仮説)」がグラデーションのようにあって、様々な事例、データで「より良い理論(仮説)」を求めていく行動と考えています。
→その通りかと思います。科学者としての現場的な感覚を書かせていただきますと、スタディ(研究)を行うときには、必ず仮説は立てます。
例えば、ある病気が親と子、あるいは親戚に見られ、どうも病気が継承されているらしい。そうすると、共通の原因となる因子(この場合は遺伝子の変異)があるはずである、という仮説を立てます。そして、現時点で行うことが可能な科学的な方法で、原因となる遺伝子(の変異)を特定できたとします。しかし、まだこれで終わりではなく、この原因となる遺伝子の変異が、実際にこの家族、さらには、同じような病気の症状が出現している別の人々にも存在するのか、さらにはその遺伝子を動物モデルなどで変異させることにより、ヒトの病態を再現できるのかなどを検証します。これらがすべて満たされると、その仮説はとりあえず、“妥当”ということになろうかと思います。
さて、前置きが長くなりましたが、実際には立てた仮説が結構間違っていたりとか、ぼやっとしたりすることがよくあるのです(この例の場合ですと、実は特定したと思われた遺伝子の変異以外の別の場所(遺伝子)に変異があり、それを見落としていた、などという場合を指します)。この「仮説を立てる」部分がいつもクリアなんていうことは、まれで、大体はサトルさんが書いておりますように、グラディエーション状態で格闘している、というのが現実なのではないかと思います。ですので、テレビの論調のように、自信たっぷりに「断言する」態度には違和感を覚えますし、それが外れると「わからない」を連発するのも、私見では、科学的態度とはとてもいえないと思います(どちらかというと、思い込み(ドグマ:教条主義)な感じが致します)。
以上、御参考までに