書くのを忘れていたので、御無礼を承知で、今書きます。雅子皇后陛下の御誕生日を御祝いしています。
監視員のみなさま、何時も有り難うございます。
ただしさん、urikani さん、年末の流行語、今年の出来事大賞の投票 HP を有り難うございます。早めに投稿します。
トロツキスト?さん、何時も情報を有り難うございます。忘れずに閲覧を出来て感謝しています。
その他の皆さんの御紹介にも感謝しています。
NAOPPU さんの投稿は、個畜的に興味を持って読みました。宗教を信仰されながら、一見正反対のような科学的態度を共存されておられます。指導者にも流されるまま付いて行こうとしません。
「信仰の領域」と「科学の領域」とに明確に分けながら、人として一にされています。憎さ余って可愛さ百倍と言われるように、矛盾した内容を併存させながらも、人の精神活動が正常に働かせられるのは、「驚異の能力(DIO?)」と注目してます。この精神活動を活発化させる事が可能なら、人類社会は、より高次元の域に達すると見ています。
簡単に言えば、個人主義に自信を持ち、他に流されず、情報を集め、頭脳明晰にして確固たる判断をしているに過ぎないのでしょうけれども、それだけでは無い発展の猶予を感じます。
矛盾した内容を併存させながらも、人の精神活動が正常になるというのは、みんなが や!を精神的に厭わなくなる事です。道理を好み、これに従うようになる事です。
これは、人間、社会の能力開発が新たに開かれるだろう事は明らかではないのかと思います。例え、食べ物の好き嫌いを克服させたり、トラウマや拘りから脱出させる事が可能だけでも凄い事になるんじゃないかと思っています。甘くは無いですけれど、適応障害(神経症)、PTSD などの治療にも繋がるのではないでしょうか。
理想論で言えば、好き、嫌いで反発せず、好きが仲間、嫌いが排除の安易に陥らなくもなると思います。
人類が何時も正月気分のような清々しい心になれれば、社会はきっと変わると信じたいです(信仰)。や!を厭わなくなれば、誤りの訂正にも積極になれると思います。仏教的に言えば執着が無くなるのを指すと思います。
でも難しいよね。
コロナ論と天皇論で、また、先の高森ん先生のプレジデントオンラインの記事でも、論理は、こちらの詰みになっていても、それを軽く無視する連中ばかりです。
コロナ論を読んで理解しているのか、どうか勝手ですが、コロナデマによる社会の疲弊、毒ワクチンの生命への脅威を軽く無視して、ワクチン接種選択の人権自由に意識が飛んでいる人がいます。しかも、ファクトチェックの弁護士です。
それに同じく、愛子さまが皇位を継承しなければ、女性宮家も実現出来ず、悠仁さま御一人になったら、皇室は消えるのに、天皇論を読んでいるのか何だか分からないけれど、よしりん先生を前に、(男系)男子に皇位を継承してもらいたい話になってしまいます。
大衆もほとんどが、こうです。
誠実に信仰しながら、人間を行じている人に比べれば、他は、己の心情、拘り、あるいは似非教義に堕ちているカルトでしか過ぎません。犯罪は犯していないけれど、カルトに嵌って離れられないプチオウム信者と変わらないです。頭はよくても、やっている事は下賤でしか有りません。
オウムが世に災厄をもたらしたように、上の偏差値だけ高い頭の良い無頭脳が社会に打撃を加えます。この頭のよい人たちも、小泉内閣の社会改造の餌食になる者たちが、小泉を「進んで支持した by サトル さん」と全く同じです。
「ひろゆき的」に軽薄で頭の悪うっ!しかし、本質は頭のよさで無く、人間的態度が大きく関わっていると考えます。
蛇足
グローバルダイニングの訴訟で、小池やオみぃが呼ばれなかったのは、裁判長が己のツラを権力者に見られるのが、や!なだけだった気がします。手を揉み揉み。
再び、肩甲骨を挫いて、ライジングは読めていません。ざまぁみろぉ〜。腰じゃ無く、何時も肩、変なの。
投票もあるしなぁ。
とりあえずコメントまで。