安倍晋三の死は、その政治信条や「公」に対する罰でもなく、自らは「安倍のやってる事でいいんじゃないの?」程度のネトウヨにより、その人生、家庭を壊されたという「私的」な感情で葬られました。ろくな死に方はしないのじゃないか?と思われる程、人を小馬鹿にしたような振る舞いをしていた人間にとって、ある意味パーフェクトなあっけない「死」であったように思います。「コロナ禍」で言われたような「高齢者なら死んでもいいのか!?」とか、「人ひとりの死をなんだとおもってるんだ!?」というようなノイジーでヒステリックな言説に惑わされず、「この国の形」を考える「臣・俺」にならなくては…と思いました。