8月6日の「オドレら正気か?」に参加しました。非常に勉強になりました。
小林先生の、「ウクライナに対して何もできることはない。ただ世論をつくることはできる」――という発言が印象深く、何度も頭のなかでリフレインしています。……いや、リフレインさせて自分の気持ちを慰めて続けています。
私は、このロシアによるふざけた侵略行為がどのような終わりを迎えるかのヒントを得たいなと思っていたのですが、結局何をやってもロシアはエスカレーションしていくのみで、全然終わりなんて見えないのだなと暗澹たる気持ちになりました。ウクライナがどれだけ力で押し返そうが、ロシアはしつこくしつこく「エスカレーション返し」をしてくるのだから、こんなもん終わるワケがないじゃないかと頭を抱えてしまいました。タチの悪いアウフヘーベンですよこんなものは。上げても上げても終わらないんですからね。
第二部が始まってからしばらくは質問をする為に挙手していたのですが、なんだか段々と意気消沈してきてしまい、終いには挙手することをやめてしまった自分は、きっときっとダメ人間なのかもしれません(笑)
モヤモヤモヤモヤしながら帰路につきました。しかし、次第にそのモヤモヤはロシアによる侵略が長期間に渡って続いていくのだという諦念に根差したものではないことに気付きました(いや、それも大いにあるのですが)。
私は10年後にロシアか中国が日本に侵攻してくると勝手に思っています。かなり高い確率で侵攻してくると勝手に思っています。ですので、この先の10年間、来たるべき侵略行為に向けて日本人は何をしておかなければならないのか?日本で残虐行為を起こさせない為に、日本人は何をしておく必要があるのか? ――こういった質問をしておくべきだったなと後悔したのです。モヤモヤの原因はこれもあったのかと。
ウクライナでの出来事は対岸の火事ではありません。日本においてウクライナのような惨劇が起きるかもしれないのだから、それを防ぐ為の手立てを議論しておく必要が絶対にあったろうと思うのです。ウクライナの皆さんには本当に申し訳ありませんが、私はウクライナで起きているような惨劇が日本で起きてほしくないのです。日本の子供や女性があんな目に遭わされるのは許しがたいのです。
あぁ、10年後に戦争が起きると「仮定」したうえで、それまでに日本人がしておくべきこと――的な議論を喧嘩腰でも何でもふっかけておくべきだったなと、途中で挙手するのやめなきゃ良かったなと――そんな後悔をしたというつまらない報告でした。