丑三 やギ の削除コメント


>>225
青ネギさん

結局、カレーせんべいさんの同調圧力、強制とは何処にあったのですか。件の記事中には見られませんでしたし、カレーせんべいさんは、 Twitter をしていないと言われています。本人も、俺は同調圧力なんてかけていない、批判をしただけだと明言されています。

あれは霞か幻だったのですか、意訳だったのですか。他に独善とか申す者もおりました、しかし、カレーせんべいさんの批判は成立しているので独善には当たりません。

批判を独善と言うなら、誰も何もコメントするなに聞こえます。それに、独善と言っている投稿の存在自身が独善と言えます。自らを否定すべきです。意見する現場から己で消えろです。二度と意見を言うなです。

また、よしりん先生が、こう言う内容を描けと私的自由裁量を投書で責められた事に腹かいたゴー宣回を挙げて、カレーせんべいさんの中川氏への要求は、これと同じだとの投稿もありました。しかし、カレーせんべいさんは、中川氏への要求事実は無いのですから、件の投稿者は、かの回のゴー宣か、カレーせんべいさんの批判文を大誤読しています。カレーせんべいさんの書いた内容は、社会問題は、こう捉えろとの要求では無く批判でしかありません。

批判とはけしからんでもあります。これの何処を責められるのか。御自分も批判の立場に立たれるのにけしからんはいけないのですか。反論権を認めないと言う事ですか。

また、勝手にヒートアップして行ったとされますが、これもおかしいです。いわゆる乱暴反論の後半では
>ここは真面目に言っておくけど・・・
と、その記事内でヒートダウンもしています。最後は
>勝手なこと言ってるんじゃねぇよボケが!!
で締められています。しかし、これは中川氏の使った言葉そのものなので、カレーせんべいさんを責められないです。

終局、カレーせんべいさんを非難した人たちの主張で理解出来るのは、言葉は穏当に節度を以って議論の場を提供すべきのみです。

これは否定しません。ただ、中川氏も乱暴な言論をネットで常にしているのに、批判の範囲で収まっている事を、乱暴な言葉を使ったからと言って、それこそカレーせんべいさんの裁量範囲を狭めるのはどうかと思います。同調圧力、独善と言いながら、これをカレーせんべいさんに強制しているのではないかと取れます。

誰が同調圧力をかけたか、強制の独善だを言ったかを知る由もないです。そう言うのがいたら、そう言うのに、そちらで言えば良いのであって、カレーせんべいさんを代表に仕立て上げて、カレーせんべいさんに言う事はないでしょう。

カレーせんべいさんは、ゴー宣ファンであっても、代表しようとされているとは思えなくもないですが、少なくとも、その筆頭だと思い上がっている節はありません。時に、カレーせんべいさんに自由の書かせてあげてもよかないかと思います。

まいね、Twitter に集まった人たちの記事中コメントを見ると、多面的と言うより繁雑的に、ものは言いように取り込まれて混乱をされている方が多く出ています。

中には、中川氏のコメントに感謝しろとか、敬意の足りていないとか、プロの書き手がせっかく書き込んでくれたのに失礼だとかもあります。しかし、議論の場に中川氏が参戦した以上、そこまで気を遣う筋合いはありません。

終盤は、みなさんコンぐらがっている人が続出しています。虚無に陥って揶揄の位置に入り込んで、全ての議論批判は無意味だを言う人もいました。しかし、潜伏していた問題に無関心だったのに今更、偉そうに言うなとされても(偽善はあっても)振り向く時は振り向いて、叩き潰すものは叩き潰すと明確にしないと、問題は更に先送りになり物事は動きません。無関心は、この世に常在して、解決すべき問題が解決に向かわ無いのが大問題と思っていますから、これが一番に気になりました。

皇室存続や、コロナ 、国葬を財政民主主義を無視して岸田が勝手に決めちゃった、原発、防衛、憲法問題、人々の関心が例え偽善でも振り向かれなければ一歩たりとも動きません。それで滅びやも知れずともよいのですかね。

まあ、細かく言えば、いくらでも重箱の隅をつつく事は出来ますし、言葉狩りの揚げ足取りになりかねないので、これ以上は申しません。話にきりも尽きません。こう言う面もあると言うだけに留めます。

最後に前の繰り返しになりますが、酒乱で論理性の無い狼藉コメントの中川氏にファックユー!で反論するのも有りと思うんですよね。ゴー宣はギャグでもあるのですから、これを理解されないのはどうかな。

問題は芸として成立しているかですから、己の感覚を押し付けるつもりはありません。

一方、人頭に光有りの出版を認める認めないで、ある団体と、よしりん先生が揉めた事件がありました。カレーせんべいさんを非難をしている人たちは、その団体が克服出来なかった了見を克服出来ていない純粋真っ直ぐ良い子ちゃんの分際に止まっているような感想を覚えます。

ひたすら、生真面目な左ヨタろーが、己らのスローガンの連呼から動けない思考のように、進ま無いで頑なに硬直して柔軟性を欠いているように感じます。このような定型思考では議論は拒否され、止揚は停止するので、論理的議論は元より、カフェ文化の興隆なんぞ、とても望めないかななんてと思います。己の限定した感想ですけど。

中川氏は、生きているのが辛いと Twitter されたようです。アル中は精神の病いを引いていますので心配します。自死前の悲鳴と捉えて、近くの方は、それなりの機関への受診等の措置を講じて頂きたいです。こればかりは、己がこちらで何を言おうとも届かないのがじれったいです。

今回の中川氏祭りで、 よしりん先生がブログで言及した別の意味が分かりました。よしりん先生は、自己の意志を貫いて妥協を許さない事から、不道理の人には冷淡に急変もします。しかし同時に優しいです。ギャグ漫画生存競争で生き残って、今もギャグを描けるくらいに鍛えられた直感力と観察力で、人の気根を鋭く察せられます。中川氏の言葉は乱暴でも、酒に逃げるほど、この世の不条理に病んでいる中川氏の優しさを見抜いておられたと思いました。

中川氏には、酒で頭蓋の中身がスッカスっかになって恍惚の人になる前に穏やかな生活を送ってもらいたいです。

何時、何処で、どんな場合で、また、よしりん先生は裏切られるかも知れませんけれども。突発的な災難、裏切りの伴う暗示が常に、よしりん先生には付き纏います。

でも、苦労を成果として結実させる力が有るのですよね。

御不動様は、確かに守り本尊だと思います。

日時
2022-09-15 23:12
投稿者
丑三 やギ
記事
「なぜ統一協会の教義に嵌るのか?」小林よしのりライジング Vol.446
No.
235