テロとテロでない物の境目って見極めが難しいですよね
動悸が怨恨だとしてもその理由が社会的なシステムの欠陥にある(と犯人が思ってる)場合、「この一件が少しでもそれを改善するような影響を与えられたらいいな」と思っていたなら、それは「テロ」ということになってしまうのか
強く願って狙った場合と、ほんのわずかにそんなことも考えていたのかもしれない場合とで判定基準が変わるのか?
人間の心情なんてものは複雑だからその中に社会性を狙う考えも含まれていたかもしれないし、犯行後に指摘を受けて「そうだったかも」と思い込んでしまうかもしれない(「相棒」でこんな話があったね)
第三者が冷静な目で見極めたとしても果たして犯人の本音は、ということにもなりかねないわけで