丑三 やギ の削除コメント


>>132

>専業主婦は家庭の雑用係

と言うのは、こう見なされてしまっているのが大問題ですね。

家事の行き届いていない家は、家の中も家にいる人々も悲惨極まりなく惨めなものです。まるでゴキブリかネズミのような巣、不潔な暮らしを見ます。

家事をしたくても、家事の力を出せくなった人は非情なる苦しみをしています。誰でも元気な人ばかりでは有りません。

こう言うのを見ると家事は大事だなと思います。

家事は生きる上で必須で有り、これほど大事な事は無いと幸い教えだけは受けて来ましたので己は幸運でした。

廊下を雑巾掛けする足音だけで赤ん坊が眠れるようにしなければならないとかで稽古を付けられたり、特に炊事場の仕事は人が人として生きる一番大事なものが詰まっていると言われて渋々手伝わされました。米の研ぎ方から、如何に水を無駄にしないかの方法まで秘伝???を伝えられました。とにかく皿の種類の扱いから、炊事道具のしまい方、置き方から何から何まで面倒なものでした。

特に寺などの修行僧の生活を見てみると、経や禅をする他、特に集中して行事的な修行をする以外では、家事が重要視されているようです。坊主は、ほとんど寺の生活と寺を維持する家事(寺務)に生活の大半を費やしています。静かな生活ではありません。忙しいようです。これで修行になるかと問えば、原始仏教のように修行僧の生活が、中国に伝わってから(迫害も有り、国が貧しくも有り)檀家の布施で完全に賄いきれなくなったので、家事は自給自足の一環で修行の一部として再構成されたそうです。その認識については煩雑なので省かせて頂きます。

ただ、目の前の物事に没入すれば、人が人として持っている純粋さを露わにするものだそうで、この効果に限って、経も禅も家事も職業も変わりはないとの認識をされています。これは生き方を探求する上で切ってもきれないものであるとの事です。生活の基本ですから道理は道理と思います。

己も同じような真似をさせられましたが、全て身に付いて、今、全部が全部、役立っていると思いません。それに不真面目だったので、人間が開発されたとは余り感じていません。しかし、一定の境界線内で時間に追われて余計な考えを封じられていると何気ない風景がやけに美しく見えた経験があります。刑務所の暮らしと同じようでも、刑務所と違う所は、もっと時間に追われなければならず、道徳観念がぶっ壊れていると、こうした経験はないと言われましたが、本当かどうか分かりません。

それにしても食べて寝て生きる場の本拠地である家事が雑用になってしまうのは無念で有ります。そして本当に、そう思っている人がいたら卑屈になってしまっているのですねと申し上げるしか有りません。

生きる根幹の家事が蔑ろにされ、職業の達成だけが人生の根幹になってしまったら、それこそ男尊女卑のいけすかない威張り散らしの無知のくせに鼻高々だけの好い気な親父と一緒になってしまいます。

女性は旧家の式たりなどのような男尊女卑から、家に縛り付けられる機会が多いです。まさに八つ墓村的です。こんな社会観は一刻も早く一掃されると良いです。

昔から貧乏でも女は働きながら家事、子育てをし、男は帰って来たら大威張りなんて因習的で野暮ったく陰惨この上もありません。

現代は核家族ばかりですし、夫婦共に働かなければ生活は成り立ちません。その中からしっかり家事をこなし、ゴー宣などで勉強をされるのは、非常なる苦心が要りようです。

こうした生活を維持されている家庭は尊敬しますし、家事くらいは余裕の有る暮らしが成り立てば良いとは思います。しかし、現実は厳しく難しいです。

男女共に家事について理解が深まり、技術も持てるようになれば本当に越した事はありません。

日時
2022-10-23 04:40
投稿者
丑三 やギ
記事
「鈴木宗男の呆れた北方領土発言」小林よしのりライジング Vol.450
No.
147