うさぎさん
お許し頂き感謝しております。
気を悪くされた事は無いとおっしゃってくださいましたが、怒らないで、よく堪えてくださったと恐縮しています。
理論武装をしっかりとしておくと言うのもおっしゃる通りです。
油断無きようにしておかなけばなりません。
よしりん先生と高森先生との間でも共通理解が不十分のようなのは
よしりん先生も難しい問題を多く抱えて手一杯なのだと思います。
しかし、先生は作品にする時は抜かり無くなさいます。
今回、よしりん先生を
>ロジックの力を超えた、絵の力で、
と現してくださいましたが、その通りで
よしりん先生の一番の力量はここにあります。
ロジックも確かながら、これを現全化させる力は見事です。
よしりん先生は、散々、専門家でないくせにと言われて来ました。
しかし、皆その専門家を相手に正しさに勝利されています。
やギ もさる事ながら、おそれながら人は皆ひとつに長けていても、どうしても全き存在ではありません。これを求めるに先生は、総合智と現してくださっております。この本質とは何かを注意していたいです。
全き人間になる為に人は生まれて成長するものだと思います。しかし生まれて、やがて人は誰もが、職業という形で専門性を持たなければならなくなります。どうしても偏らざる負えません。そして多くが偏りに陥って大臣、博士までもが間違いの渦に堕落しています。
これを総合智で立て直す点を人間に求めるとしたら何処に有るのか。非常に重要な点ではないかと思います。その解の一つと思われるのは専門性の中にはいても、それを全て捨て切った己を持つ事だと思っています。専門に完全に埋没していない心です。
総合智を発揮される方は、素っ裸な人間性を持ち合わせていると思います。裸の王様を裸だと指を指せるのは、素っ裸な無垢な子どもだからだと思っています。それはつまり何も濁りのない純な心です。
素っ裸な人は、これまで培って来た全てのものを捨てきった心になる事が出来る人だと思っています。それを体感して持っていると確信しています。逆に、これを体感せず知力や知識の工夫で何とかしようとする者は、多くは間違いに身を墜し、己も人も苦しめる事になります。
素っ裸とは、人間が人間になれば人間に沿った人間になれる事だと表現しています。この世の全ては形有るものも、形無いものも人間の作ったものであり、そうでないものは自然だけです。
人間が人間になりさえすれば、あとは情報の問題だけで純粋に物事の是非が判るようになります。そこに総合智が出て来るのだと思います。
これが世に具現化したのが
よしりん先生であると思っています。
たかだか漫画家風情がと言われながら、名だたる権威に勝利されているゆえんです。
よしりん先生はギャグが描けます。これが素っ裸な子どもの純な心を体感されておられると思います。そして、喘息で生命の際を体験してこられたこそ、プライドもキャリアも捨てて真実を突く総合智を発揮できるものだと思います。
六法全書を全て暗記している法曹も、大蔵経を全て体得している僧侶も、全ての学問に精通している人もいないと思います。
ですから、純な人間本来の素っ裸な心に賭けたいと思っています。
よしりん先生が砂浜を駆け出したら、みなさんがおっかけて来たのは、その為でしょう。
また脱線しました。
うさぎさんの提起に己は矛盾を感じていません。
再び長く失礼しました。