丑三 やギ の削除コメント


>>193

他の例で補足します。

血脈相承(けちみゃくそうじょう)とは
やギ の書いた
>>189 にもあるように

>もの皆、時間と共に変化して行かなければならないです。
けれども、形より心は、
こぼす所をこぼさないように注意すれば、
何とか本質を伝えて行く事が出来ます。

これが血脈相承そのものです。

師から弟子へ椀の水がこぼれないように、
椀から碗へ水(ここでは仏の本質である心)が
伝えられているかどうかを表しています。
心とは本質で有り、法とも言い換えられ、
仏法の全てが伝えられているか、どうかです。
ここにおいて、
仏法の正当な継承者は、釈迦の血統で無くても構わないを意味します。

真実の継承者なら、本来ならば流派は存在しない筈です。しかし、伝法の過程で家風の違いは生じるのは仕方が無い事です。

茶道を例にとっても、流派は百以上を越えているとされ、それぞれ流派の正統を守って伝承されています。

利休自身は己の茶風が、そのまま伝承されるとは思ってはいなかったようで、一番弟子のような古田織部さえ、利休の茶とは全く正反対の流儀を行っています。

当の千家も、三千家と言われる家は、利休の後妻の連れ子の家系で、利休の娘と婚儀を交わしたと言うのは、学術的には不明で三千家が利休の血を引いているか定かではありません。しかし、伝統は守られ続けられており、三千家でさえ家風が出て、三家に流儀の違いは出ております。しかし、茶の本質は変わらないです。

利休が美の価値の大転換をして指導して、有名な楽茶碗を創始した長次郎は、朝次郎とも言われ朝鮮の陶工でしたが、これを受け継いだのは、長次郎の室の祖父であるとされ、その子息によって楽家は始まっています。その後は婿養子が入りながらも4百年の伝統を保っています。

他にも家系の例を挙げれば切りはありません。
伝統ある名家も必ずしも創始者と血が繋がっている訳では無く、
明らかに血の違う人が伝承している例があります。
宗和流などは家元が腹を詰めたので、
高弟たちが協議をして、最も優秀な弟子が指名制で家元を継承している例もあります。

皇室の心を伝法すると言うなら、
うさぎさんのおっしゃるように、
必ずしも血の繋がった人で無くても
良い事になります。
事実、創始者の血筋で無い人たちの手で受け継がれている所は
たくさんあるのです。
仏法は釈迦の血筋では無く
キリスト教もキリストの血筋では無く
他も本質が伝えられていると言うなら、
必ずしも血筋にこだわる必要も無いのです。

ただ、皇室の法とは何かを規定する事は、
禅問答を交わす以上の難しさがあります。
心に形はありません。
皇室に法義の定めもありません。
(秘密裏に在るかも分かりません。)
そこで
何が皇室の心の本質か国民に分かるように規定出来ない以上は、
憲法に明記された世襲でないと
皇統を規定するのは困難を極めて
不可能に近いです。
世襲制を捨てるのは難しいです。

その世襲では男系男子で世襲が困難になっている以上は
俗人を養子に入れて皇族浄化される前に
男系固執は放棄して、
今上天皇陛下に直接されておられまします
御直系、御長子であらせられる
敬宮殿下が皇位継承に相応しく、
皇室が秋篠宮家と言うより、
悠仁親王殿下、御一人になる前に
手を打っておかないと、その後は
皇室断絶にならざる負えません。
ここの所は、男系派は目覚めないとなりません。

だけど、目の開かれないのですよね。

日時
2023-01-23 22:41
投稿者
丑三 やギ
記事
「日本人だけ民族浄化一直線」小林よしのりライジング Vol.457
No.
201