丑三 やギ の削除コメント


>>72

己の思いを書きます。

しかし、思いと言うより自明の道理です。

【兵士や戦争の話に限って】
御質問は、LGBTQ(他)と全く関係ありません。トランスジェンダー当事者ゆえに性差にこだわり過ぎと思われます。

生物学的に男であれば強制的に兵士にされるのは仕方が無いです。

これは、性自認では無く、生物学上の問題です。

生物学的に男であり、性自認も男でも精神的な強弱は多様です。この点は横に置いておくしかないです。これを語ったら話が混乱します。若い力の有る男が徴兵されたら、病気持ちでもなければ、否応なく戦場に送られます。

何故なら、人間も猿の時からライオンと同じく戦うように雄〜男が戦いを担うように性別特化しています。

思春期を過ぎるまでは、肉体能力は男女ともに変わらないように見える場合のあります。しかし、この歳を過ぎて行くと、女性ホルモンが影響して、女性は肉体力的に弱くなります。

柔よく剛を制すと言われる柔道でも男女別に競技されます。柔よく剛を制すなら、男女の対戦もあって然るべきです。しかし、そうではありません。特別な鍛錬を長くして、根本技量を修得でもしなければ、肉体的な性差があるからです。競技武道では仕方の無い事です。競技で、これを無視するとフェアでありません。どの競技もそうです。皆、男女別です。これを差別とは言いません。

男女の性差は、いくら平等観念で語っても消えるものが無い部分を御忘れかと思います。

生物学的男性が戦場に送られる事は、生物学的女性より命を軽く扱われて我慢ならないと申されます。

しかし、生物学的女性を戦場に送る事は、
《生物学的男性を戦場に送るよりも、生物学的女性の命を軽く扱う事になります。》
まず、肉体的、運動能力に劣る女性が男性よりも死体の山を築く事になるからです。

また、女性兵士が戦場で男性よりも負傷しやすい筈です。役立たずを、その場で殺せば面倒は避けられます。しかし、文明国の兵士ならば救助するでしょう。この時、男性兵士の命は余計に危険にさらされます。そして作戦の遂行が阻まれます。すると、兵士全体の命の灯火が、より多く消える事になります。

憚りながら、女性は余程の特化した能力が無いと戦場では役に立たないのです。
これは仕方の無い事です。

これらは生物学的に男なら男、生物学的に女なら女と
>公共の場所では〜仕方ないと考えてます。
とおっしゃっている事と同じです。

性自認が女でも、生物学上男なら(個室のあるトイレはともかく)女性浴場は入れないのは仕方のありません。これは、生物学上男だから仕方の無いのと一緒で、生物学上男が、まず、兵士に選別されるのは仕方の無いのです

戦争はしなければ良いかと言えば、その通りです。しかし、日本にウクライナのように侵略者が攻め込んで来たら、防衛戦争は、せざる負えません。侵略されたら、拷問、虐殺、差別、劣等民族扱い、民族浄化、侵略国の為の徴兵や洗脳、強制労働など、侵略国の思いのままです。防衛戦争から逃げるなんて言う奴は、この同胞のむごたらしい未来を想像出来ないのです。

ひとたび(防衛)戦争が起きたら、元気のある若い男性が兵士とならざる負えません。これは、国、社会を守る上で仕方の無い制度です。

「兵士」と「住民」の切り分けについても同様に御考えください。通常の社会を戦争は破壊するのです。

例外を言えば、昔は戦力の不足すれば、女も子どもも戦場に動員されました。社会集団の存亡の危機だからです。現在も、そうならないようにしたいものです。

戦争では、男も女も犠牲になり、男も女も虐殺をされます。男が加害者になるか、女が加害者になるか、逆に、男が被害者になるか、女が被害者になるか、その時次第です。
冷酷な司令官は男女ともにいますからね。

これが戦争犯罪ならば、自軍の仕業でも極刑を以って対処するしか方法は残っていません。

兵士、戦場について性別を考えるならば、どうしても生物学的男が兵士になり、戦場に送られるのが優先されるのは仕方の無い事です。これは差別ではありません。命の軽重を男女で分けるものでもありません。

日時
2023-07-14 22:30
投稿者
丑三 やギ
記事
「『よしりん辻説法⑥ 恋愛論・完』とLGBT法」小林よしのりライジング Vol.474
No.
81