丑三 やギ の削除コメント


>>103
申し訳ありません。
とりあえずの追加です。
さっさと書くと重要点を忘れます。
先生を含めて興味の無ければ読み飛ばしてください。
グダリます。

よしりん先生は、ジャニー喜多川の強姦事件における各種、卑怯の大小と、その相殺具合について御間違えになっています。あえて言えば、何が大卑怯なのか、小卑怯なのかです。

先生は強者でありますが、弱者の味方の強者に御成りになります。

従って、その時の先生は、立ち向かう強者の対象に相対的になる為に、誰が弱者か、強者かの見分けを誤ると善悪が倒錯します。

青ネギさんのおっしゃるように
>着目している部分が異なるので、嚙み合わないと思います。
となります。

随分に若い頃から、幼児=幼女、児童=児女、少年=少女(男だろうと女だろうと同じ)に不同意で性加害をしていた猟奇的犯罪者を、たかだか、娯楽を提供する仕組みを成したからと言って、これを功績として、おそらく被害者は、100人を超えるだろうと思われる陰湿大卑怯な変態性欲者の罪が相殺されるとする所にも根本的な誤りのあります。

発覚していれば逮捕懲役は確実です。功績なんぞ裁判で考慮される対象外です。

【相手は《隠れて》構築した《権力を使い》《隠蔽封殺》しながら強姦を】続けていました。
【それを経済利益を与る報道が、30年前から告発本が出されていながら《カネを目当てに》犯罪の隠蔽封殺に加担していました。】

それが瓦解した時点で、そのでっかい権力の城壁大卑怯の突破口を小卑怯で突いてやっても悪くない作戦です。簡単に言えば、
【やらない善より、やる偽善です。】これが悪いとは思えません。大卑怯に対して卑怯が小さ過ぎます。これが卑怯かどうかもい疑わしいです。大卑怯の敵の隙を小卑怯で突いてやるのが何が悪いのか。

こうした作戦によって永遠に非難されて然るべき変態性欲強姦魔の正体が知れ渡ったのは幸いと見るべきです。強姦魔を見て見ぬ振りをして来た報道の卑怯な傍観者もひっくり返せました。

コロナ論で徹底的に報道に無視封殺された事を思えば、先生が報道のていたらくに嫌味の一つは言っても良いと思います。報道に職を得た偏差値の者たちならば、コロナ論シリーズを理解していない筈はありません。報道が保身に保身に保身に動きやのった大卑怯です。此奴らがしっかりしていれば、奴が、おっちむ前に被害者たちは闘えた筈です。同じく、コロナ論は行き渡り、要らぬ倒産、自死者、ワクチン犠牲者、税金の無駄を無くせたのです。

税金の無駄を無くせば、プーチン、シーチンペイ、キムでぶちゃんの脅威に対する防衛費を賄いながら、相当の経済政策も可能だったと思います。残念です。未来の子どもが踏みにじりられました。そして、統一協会に日和るのと同じように、せいぜい歌謡商に手を揉み揉みする権力構造を破壊しなければ、大企業に富が渋滞するだけで、本当の経済政策は議論されません。今回の報道の守銭奴たちの利欲保身の壁は、例え小さき穴でもハンマーで叩き壊して蟻の一穴にでもしておくべきです。先生なら尚更、強力に可能の筈です。それを報道の下賤に肩を持つようなのは落ち込みます。

先生の職業は戦士で、戦う事で禄を得ています。それは勇猛果敢な強戦士です。そして誌面という戦場を与えられています。しかし、被害者たちは戦場に入ろうにも、権力の城門に閉ざされて戦場にさえ入れさせてもらえませんでした。

小錦に舞の海が負けるのが当たり前と思えませんでしょうか。戦う前に武器も限られた者たちが、戦う術を奪われていました。それに百姓が一揆するには大変なエネルギーを必要とします。本来は個人の被害者たちが、余程上手く連合を組まないと討死前に飢え死にします。まるで、ワクチン犠牲者の遺族が、これから裁判に訴えた末を見るかのようです。

るろうに剣心の作者が、児童ポルノ所持で、先生は、ブログで批判されておられました。和月伸宏は、伸宏で気持ちの悪い奴ですが、ジャニー喜多川より小悪党です。幼女のおまんまんを眺めていて発覚しなければ、内心の自由だけを楽しんでいました。

しかし、ジャニー喜多川は、その気持ち悪い性欲を年少に実行していました。子どもを対象に漫画を描いてきた同職の裏切りを憎んだように、子ども漫画の先生は、奴を憎めないのでしょうか。この先生の対応の落差を疑問に思います。

その子どもも今は、個の有るべき大人です。しかし、時間の流れなんて本当に有るかどうかは分からないと言います。確実なのは、今のたった今の現実だけとも聞きます。被害者は、永遠に変わる事の無い年少時の屈辱の今を過ごしているとは思われないでしょうか。

先生にも内心の自由はありますから、批判しなくても構わないと思います。ただ、隠れるようにして、この事については公けに言わないつもりだがと前置きしてボッソと言われると、浮気を疑う妻のように知りたくなります。

愛子天皇祭りが控えておりますし、先生の他の多岐に渡る野心があります。ジャニー喜多川の卑劣下賤なる強姦に付いては山下達郎みたいにチャチの入らないように黙秘を通して欲しかったなと思います。

ただ、世間の反応を見て、言いたい事を言えなくてボッソっと漏れたのは理解したいですけれども、
これは、これこそ、よしりん先生らしく無いです。今朝のブログは、真っ先に先駆けして書いてよろしかったのではないでしょうか。

先生らしくないと申せば、今回は、被害者が成人男性という事で、個の確立の点だけから、理知で突き放して老婆心の見当たらない事です。被害の時点が年少だった事が考慮されていません。封殺された時から、力の発揮出来なかった立場を無視しています。これだったら、強姦にあった女性は、何が何でも被害を明らかに立証すべきと、強姦魔と己の体液でグッチョングッチョンのビッチャビチャのままで警察の到着までいろとおっしゃっているかのようです。そうすれば、確実に泣き寝入りは無いと。しかし、これは伊藤詩織さんの件で無理な注文と理解が広まっている筈です。徹底的な成人男性の個の強者の立場から、理の立ち過ぎて、その剣でぶった斬っていると高邁な哲学のように抽象概念ばかりなのかと思えます。先生の思想は、決して高邁ではありません。常識をたぐれば、誰でも真実に到達可能な生活思想です。庶民性の人情の無い思想は人の反発を買います。今回の事例の分析は、先生のやり方では合っていないと思います。

それから、もう一回、釘を指しておきますが、「自殺」と「自決」は違うとされながら、
>「自殺」は周りをどれだけ苦しめるか分かってない。

との、行為としての認識に御注意ください。

【「自殺」と「自決」は違うとしながら同一視されておられるのを強く懸念します。】

「自殺」には覚悟は無く、病的な精神状態となって、突発的な行動に移すものと心得ています。覚悟の無い以上、自決に見られる揺るがぬ自己判断は存在していません。つまり、己が死ぬ事による周囲の苦しみに思い到る余裕は無いです。それもその筈で、今ここで電車に飛び込んでみろと言っても、通常は、恐ろしくて真似も出来ません。血の抜けた人間の肉塊は、豚の白身よりも白いです。明らかに「自殺」には、頭の異常が伴っています。そして、「自殺」には、常人が抱く死への自然な恐怖はありません。

自律の存在しない「自殺」と認定されれば、過労自殺の認められる場合があるのを見れば、すぐ、理解可能です。「自殺」に自律が存在される定義ならば、学校や会社等の安全保障義務は絶対に在り得ない事になります。しかし、現実は、そうではありません。現実性との解離に御気を付けください。ここの所は、現実を見ていない人が多いので、皆、観念論になっている例が多過ぎます。

【「自殺」を「自決」と同じ、自己判断による行為の結果と見るのは、重大な誤ちの有る結論を招来します。】

また、つまらぬ事をグダグダと粘着質にしたため、先生の御心を乱して恐縮しております。

一介の畜生の愚考として捨て置きください。再び、頭の空き容量の出来て追加が出たら書かせてもらうかも分かりません。こう言うのを書いて、先生の意見を変えるとかの野望は持ち合わせてはおりません事を御理解の上、堪えてくださいましたら幸甚です。

よしりん先生をこよなく愛しゅちいる畜生より。


日時
2023-07-16 21:48
投稿者
丑三 やギ
記事
「『よしりん辻説法⑥ 恋愛論・完』とLGBT法」小林よしのりライジング Vol.474
No.
109