丑三 やギ の削除コメント


>>127

御 いもさん

励まして頂いて有り難う御座います。

自己洗脳カルトから抜け出せたのは、
やはり、よしりん先生の影響があったのは確かで感謝しております。

少し言及していない部分を書かせてもらいます。

自分は、アイドルや芸能人をカネと欲に塗れて『汚い』と糾弾したと思われていると思います。実際に、そのように書きました。しかし、強調する為に随分と大袈裟な言い回しをしただけです。ともだちんこと、おまんまんの垢まみれとか酷い書きようをしました。でも、あれは比喩のつもりです。そのまま受け取って頂くと己の思いと齟齬が生じます。同時にファンには、アイドルはアイドルとして純粋に楽しんで欲しいとも思っています。

己にとっては『汚れ よごれ』で無く、『穢れ けがれ』(同読みでもありますが)に思いが集中しています。つまり、心の穢れ / 汚れです。

全国犯罪被害者の会の設立中心人物になった岡村 勲 弁護士は、御自分が裁判に関係した被告に逆恨みされて、御妻君を殺されるまで、本当の被害者の気持ちを知らず、人ごとだったと申しています。それまでは、判決が出たり、和解に到ったりした時は、被害者の人たちに貢献出来て、ああ、良かったと自己満足していたそうです。ところが、いざ自分が殺人被害者の遺族になってみるとそうでは無かった。被害者は皆、永遠に消える事の無い激しい憎悪を怨み辛みの感情の洪水に酷く苦しめられていると分かったそうです。それは筆舌に尽くし難いです。

被害者にとっては、加害者に、どんな情状酌量のあろうと、弁護によって減刑される権利があろうとも、殺人者、また自分の心を殺した相手に対しては、誰にでも死刑を求めます。懲役何十年、何ヶ月とかは、司法で定められたので仕方無く受け入れているだけで、本当の思いは別にあります。

己もそうで、加害者への思いは、もっと切実に残虐なものです。楽に殺したくはありません。目をえぐり、鼻、耳、唇を削ぎ、歯、舌を引っこ抜き、手足を切断して、自殺できないようにして、生命維持装置を付けながら寿命の尽きるまで生かしてもらいたいと思っています。この生かすのに税金がかかり過ぎるなら、この真夏の太陽の下、日陰で熱中症にならないように健康に留意しながら、張り付けにしてもらいたいです。そうしたら、もっと早く寿命が尽きるでしょう。

自分が、最も忌み嫌うのは、暴力の「力」、権力の「力」によって人を抑圧し虐待する者らです。その思いは、岡村 勲 弁護士を凌駕しなくても、比肩、同様の思いを抱えて生きていなければならない悪業因縁の元に置かれています。そいつらを憎悪する気持ちは止んだ事はありません。この苦痛は表現し難く、どんな事をもってしても、相手に伝える事は困難です。

証言が皆、正しければ、ジャニー喜多川は、10代の頃から、猥褻行為に及んでいたと見られます。その男色の趣味から、自身の劣情欲求を満たす為に、性欲の吐け口として、商売で囲ったジャニーズを利用しました。ここは、性牧場でもありました。そして少年の野心を利用しながら己の権力の傘の下、穢れた自身の犯罪はバレないだろうと高を括って醜い行為を繰り返していました。そのように感じます。みなさんは、どう言う感じ方をしておられるのでしょうか。己にとっては拡大解釈であろうとも、たいぎょうに、必要以上に、そう見えてしまうのです。

その思いは耐え難しです。ジャニー喜多川を奴の人生ごとキャンセルしてやりたくなって来ます。そこで潔癖になってしまいます。こう言う奴らへの思いが生じると、手を洗い、髪を洗い、体を洗っても払拭する事が出来ません。皮膚が破れ、髪が抜け落ちても洗い続ける事になるでしょう。これは苦しいものがあります。ジャニー喜多川へのアイドルが育ててもらった恩義、貢献、後出しジャンケンの卑怯などと擁護されても、そんな者は聞く耳は持ち合わせてはいませんでした。加害者の立場が弱くなった所を突いてやっても全く卑怯に思えませんでした。むしろ、弱くなった所を襲うのは、強姦の悪の論理と同じく正当に今でも思ってしまいます。ここが、また悩みどころです。嫌な思いをしたら、後出しジャンケンでも訴えてやりたくなる気持ちは分かるのです。

創作者の人格と産み出された文物は別物と言うのは、
よしりん先生の著作で知ってはおりました。けれども、今回のジャニーズ問題では、そんなものは、己にとって関係無い事になっていました。これが人権真理教に陥った己の正直な気持ちです。それでも、ジャニーズ問題は、遠くの出来事に過ぎないです。過ぎなくても、否応にも穢らわしく、潔癖にならざる負えません。

しかし、よしりん先生の、それは違うとよ、それは違うとよと言う呪いが、己をさいなまして、自分でも足掻き、悩んで苦しめられて、自己洗脳が解けました。その過程は、今号の己のコメントの順番に現れています。ついには禁断の占術まで駆使して、己の不明を明かそうとしました。その点、まだ自分の業苦は甘いと思います。ここでハンニバルレクターとか書きました。これは人のごとだと思いましたが、それは己の思いの中にあるもので、それをジャニー喜多川に投影していたのだと思います。共時性がなんだかどうかは、どうでもよいです。とにかく、そう言う事だったと思います。

そんな事をいちいち糾弾する人なんているの?と思われてしまいますが、糾弾し排除する心理は、男乃系子、漢乃益荒子のように三者三様と御理解頂ければ嬉しいです。

今回の事で叩かれ鍛えられたので、昔の思いが強く蘇り、先生と睡眠時間が同じくらいになっています。

泣き言、甘えを申しました。


日時
2023-07-22 05:37
投稿者
丑三 やギ
記事
「〈性自認〉の曖昧さを保守としてどう捉えるか?」小林よしのりライジング Vol.475
No.
128