丑三 やギ の削除コメント


ねこまるさんに因縁を付けてしまって本当にすみません。時間の経つ程に罪悪感に苛まされます。申し訳ありませんでした。

すぎそうさんも御疲れさまです。こう申す言い方が正しいか分かりませんが、みなさん、とりあえず許してください。

やギ も同じ筋で言っておりましたから、
すぎそうさんだけが、ブログに取り上げられてしまって、後ろめたい気持ちになっています。己も晒されても良かったですが、やたらと長く書いてまとまりなく、迷いが出ていたので、たまたま、お鉢が、
すぎそうさんに回ってしまったかと思います。それでも、丁寧な説明を有り難うございますと、議論に真摯な態度は見習いたいと思います。これを、こんな簡単な事が判らないのかと罵りで返してはいけないと思います。

昨日は、ジャニー喜多川の下賤な悪行の被害者たちは、現代の人権感覚で何とかしなければならなかったと書きました。しかし、すぎそうさんの理を見ていると人権真理にあった身として納得してしまって、これだけでは駄目だなと思っています。

また、トッキーさんも改めて慰安婦の例を出して来て、ジャニー喜多川問題を説いていますが、ゴー宣慰安婦を読んでいない人、新規の人は分かってもらえないと思います。慰安婦論を読んだ人でも、あれは大東亜戦争当時の法体系が違う時代のもので、現代の法体系、人権向上の社会で行われていたジャニー喜多川の(したとされる)少年強姦は、現代の法体系で論じられなければおかしいと思われる人も多いと思います。しかし、ジャニー喜多川は地獄に落ちて過去の事になってしまいました。奴を地獄へ逃してしまいました。もう何も出来ないです。

人権真理教は、同情心を理で論を連ねている一方、
よしりん保守の立場で考えると、理では無く、感覚や常識を主にしますので、理詰めに出来ない面のあります。

こうなので、おおらかな日本の性文化とか、慰安婦問題の経緯とか卑怯、恩義、芸能界のヤクザ的異質世界など、キーワードは揃っていますが、人権真理教に対して、単に短文で叱り飛ばして済ましているばかりで、不義を働いているような気持ちになって、後ろめたさになっています。

すると、キーワードを全部整合性をとって説明しようとする気になります。けれども、方法論が違うから失敗します。

こうしたキーワードで頭蓋の中が並存状態で満たされている己は、これを文で上手く紡いで、ひとつの体系として文章に纏められ無いので、己の頭の悪さに頭を抱えていました。

でも、方法が違うので、これを放棄しなければいけません。

やはり、よしりん先生の生放送を待つ事にします。混乱して同情心から贔屓心を引きずっている己が整理する事ではありません。

己は、初めジャニー喜多川の被害者側だけの立場に立って同情心一杯だけで色々、書いていました。しかし、これで考えていると実情は違って来ます。

そこで、こだわり、かわいそうだ、気の毒だと思いつつも、被害者を突き放さないといけなくなります。これが辛いのです。「課題の分離」を己はするのが人情的に困難です。

だから、やギ、もう、あんまりね、草を抜こうと思ったら、根っこが最後に残っているような態度でぐずっておるのは無意味です。頭の悪くて、言葉が紡げない以上は、これにて、ジャニー喜多川の問題から手を引きます。

それでも最後に言うと、短い文章しか書いていないのに、単に叱り飛ばして終わりとするのは、後ろめたさがあってもよいんじゃないかなと書いておきます。これは被害者感情を引きずっている己の未練です。中には、何か感覚だけで書いているような人もおるしな。

(山下達郎の事は、もう論じなくてもよいかと思います。あれは、あのように言うしかなかったと、雑ながら、この一言で片付くと思います。)

(デビの申し分は、たまたま、よしりん保守と同期しただけで、此奴は保守の立場でものを言っていないと思います。デビ流の成り上がり論から言っていると見ています。)

日時
2023-07-29 22:31
投稿者
丑三 やギ
記事
「〈性自認〉の曖昧さを保守としてどう捉えるか?」小林よしのりライジング Vol.475
No.
256