うーん、「日本人は自力で国を守る覚悟がなく、アメリカなどの『誰かさん』に守ってもらいたがってる」という風潮からなかなか抜け出せないですね。仮に自力で守る兵隊がいるとしても徴兵制による国民皆兵という手段ではなくって自衛隊という職業軍人に守って欲しいというのが日本人の偽らざる本音なのかもしれません。
どうも、日本と欧米の国民と軍隊の関係の歴史の違いが背景にあるのではないのかな?と思います。
大学時代に政治思想史を学んだのですが、ヨーロッパでは様々な国家や王朝が時代ごとに入り乱れて、しかも支配者そのものが入れ替わったり、国境線が変わったり、王制が共和制になったり共和制で出てきた指導者が独裁者になったりと、日本人がイメージする国家とは違っていたのです。いきおい小規模な戦争は頻発していて、そこでできた様々な国々は国民に徴兵の義務を課す代わりに国民の私有財産や生活を保証するというシステムを作っていたのです。庶民が己の個を守るためには、兵役に参加して国のために戦う、という思想が根付いていて、戦争ができる人間だけが個を守れたのです。
これに対して、日本は江戸時代のミラクル・ピースの頃までは国内で戦争と言うか、合戦をしてるのは武士という職業軍人たちであり、庶民は足軽として不定期に合戦に参加し、合戦がない時は畑を耕して武士に農作物を納めることで食い扶持を守っていたのです。そして武士は庶民の食い扶持に責任を持ち彼らを守るために血を流していたのです。
それが黒船の来航以降、明治から大東亜戦争にかけて西欧の国民皆兵の事実を知り、職業軍人だけでは西欧の覇権主義と戦えないので徴兵制を敷いたのです。
もともと、日本には庶民が兵役に行って兵隊になって外国と戦うという歴史がなかったのかもしれません。明治〜大正〜昭和初期の国民皆兵の徴兵制の方が例外的だったのです。それが徴兵制に対するアレルギーを作る下地になった可能性があります。
日本そのものは海に囲まれていて、外敵の侵入が難しかったことも「国を挙げて戦う」という覚悟ができない理由の一つなのかもしれません。大東亜戦争末期の沖縄だけが例外で、唯一他国による地上戦が行われ庶民が戦死してる場所なのです。
よしりん先生が「日本の武士には個人主義があったけど、足軽には集団主義しかなかった」という言葉も、日本と西欧の庶民と軍隊の歴史の違いを比較してみれば腑に落ちるのです。武士は常に合戦の指揮を執っていたので、否応無しに生と死について考えざるを得なくなっていたのです。
今や、中国の覇権主義といい、イスラム国の問題といい、現状が平和であるという認識は通用しないのかもしれません。西欧とは違うかもしれませんが、イスラム国なんかも兵隊になって共同体を守ることで一人前の個人であるという認識ですし、日本の自称保守や左翼みたいに「誰かが守ってくれるから我々はただ安穏と経済と消費に人生を費やそう」という甘えた常識は、全世界的に通用しないのです。国を守るためには自ら戦うという覚悟が必要な状況なのです。