こいら の削除コメント

酒鬼薔薇聖斗の手記が出版されて(悪い意味で)話題になっていますが、例えば村上龍や柳美里などの小説家は「小説は殺人を起こしても書く自由がある」と言って犯罪者の私的体験を文学的な作品としていたずらにステイタスを上げようとして、犯罪者がなした行為を棚上げにしていかにもヒーローが生まれたような感じで擁護しようとするのです。その姿勢には違和感があるというか、胸糞が悪くなります。
村上龍はロス疑惑の三浦和義にも小説を書けとそそのかしていて、実際三浦和義も小説を書いたらしいのです(出版はされたかどうか分からないのですが)。それからユーミンこと松任谷由実もラジオで三浦和義のことを擁護するような発言をしています。
文学者や芸術家の中には、凶悪犯罪を犯した人を天才だとか感じてしまう錯誤した美意識がある人間が少なからずいます。そういう人間が例えばテレビのワイドショーなんかでコメンテーターとして出てるのを見てると、市民受けするポジショントークなんかは建前で凶悪犯罪もネタにして作品でも作るつもりなのか、という邪推さえしたくなってきます。
もし、あの酒鬼薔薇少年の本棚に村上龍の「イン・ザ・ミソスープ」という連続凶悪殺人事件を扱った小説があったとしても、村上龍は己の作品の社会的責任に言及することはないでしょう。漫画が少年に悪影響を及ぼすから漫画を排除せよ、と世の良識派は声高に言いますが、小説や文芸作品となるととたんにそのような影響力に対する感性が鈍るのはなぜでしょう。
こんなでたらめな言論状況が続くのであれば、川崎の少年刺殺事件の主犯であっても「出所して手記を書いて作家みたいなことをして印税で生活すればいいや」みたいな考えを持つであろうことは想像に難くないと思います。結局それが若者の割礼の儀式を奪い、異常な自意識を特権化してしまうことになり、社会的倫理を損ねて第二・第三の凶悪犯罪を生むきっかけを作ると思うのです。
日本の小説家と呼ばれる人種が、表現の自由の名の下に社会的倫理を貶めるみたいなことがまかり通っている現状を、世の大人どもは誰も憂うことがないのです。結局これも欧米のもたらした個の確立という考え方がもたらした悪影響だと思います。やはり出版とかそういうジャンルにも公共の福祉と言う縛りは必要だと思うのですが…。

日時
2015-05
投稿者
こいら
記事
「未熟な国で老いに抗う者たちの煩悩」小林よしのりライジング Vol.136
No.
64