こいら の削除コメント

うーん、素直に考えて宮台氏の主張には矛盾がある、と思いますね。
戦前と戦後の日本がポツダム宣言の受諾で分断されてる、という考え方自体、いわゆる戦勝国の価値観に沿った国家観だと思うのですが…。
日本は戦前から民主主義国家だったのは事実で、そうでなければ頭山満みたいな人物が現れるはずもないのです。国民と国家の間の信頼を熟成することは、国家が大衆の世論におもねることとは違うので、日比谷焼き討ち事件みたいにマスコミや空気に煽動される大衆を、安易に国家が信頼することは危ういと思います。
それから東京裁判史観をデフォルトの歴史観として定義すべし、という宮台氏の主張も、戦後民主主義を無批判に受け入れて無意識のものにしてしまう危うさがあると思います。東京裁判自体、国際的に見ても公平な戦争裁判ではなかったし(そもそも裁判で日本の戦争責任を追及すること自体、アメリカの意図ですよね)、そこから抜け出して日本が主体性を持てなかったことが今の日本の体たらくに繋がってると言えますね。
大東亜戦争について、中国やアメリカに対して謝罪を強要されている日本のあり方は、たとえばいじめられっ子(日本)がいじめっ子(中国・アメリカなどの戦勝国)に無理矢理恫喝させられて謝罪を強要させられてる様子みたいです。そこを客観視して自分の言葉で自分の国を守るべく発言することが、一人前の独立国家だと思うのですが。
どうも宮台氏の発言はポストモダン以降の意味の軽さから抜け切れていない印象があります。国家や戦争について語るためには政治の重さを踏まえたもっと重くて責任がある言論のあり方が大事だと思いますが…。

日時
2015-05
投稿者
こいら
記事
「自主独立のために必要な“信頼醸成”とは?」小林よしのりライジング Vol.138
No.
19