何でしょ、率直な話、出版業界って何かおかしいな、って思います。
ネットばかり叩かれてる感じがしますが(もちろんネットも相当おかしいけど)、元少年Aの手記の話にせよ、幻冬舎の社長が自民にすりよってる話にせよ「本を書いてるヤツは偉いんだ」みたいな驕りが出版業界の中にあるような気がしてなりません。
AKBの総元締の秋元康が、安倍首相や幻冬舎の社長と「組閣ごっこ写真」みたいな写真を出していたらしくて、AKBそのものが体制の中に取り込まれてしまっているのかな、と危惧してしまいます。おそらくそれはよしりんが「昨今のAKBの楽曲が面白くなくなった」と言ってるのと無関係ではないと思います。
全ての作曲家がそうだとは言えませんが、やはりメジャーレーベルのレコード会社のディレクターなんかの「いい曲よりも売れる曲を書いてくれ」という指示に従って無難で当たり障りのない曲をお金のために書かざるを得ない現状って、天才を生みにくい状況かもしれません。
それはあたかも漫画の出版社の編集が「奇抜な作品よりも毒を抜いたどんなお子様にも受け入れられ、PTAからクレームが来ない作品を描いてくれ」と漫画家に指示するのと似ている気がするのです。
確かに表現の自由には公序良俗の縛りは必要かもしれませんが、今のサブカルシーンなんかを見てると、特に若手の作り手が萎縮して面白い作品を出したくても予定調和の枠の中でしか表現したがらない傾向があるのかもしれません。
そういう状況の下で元少年Aの手記はある意味、予定調和を崩す表現ではないか、と期待しちゃう知識人もいるかもしれませんが、例えば一流の作家が殺人を扱った作品を例えば文学であれ音楽であれ表現するならば、そこに良心の葛藤を覚え描写に関しては細心の注意を払い、上手くそのテーマを昇華させるために精神的に追いつめられながら苦悩しながら描くことが要求されるはずです。元少年Aの手記は単なるマスターベーションの記述でしかないから、安易に人を傷つけてしまうと思うのです。そこに良心とか制度とか公序良俗に対する葛藤が全くないから。
もっともマスターベーションみたいな小説を書く作家が増えていて、しかもそれが芥川賞とか直木賞とか権威ある賞を取った作家の中にもいるから、奴らが元少年Aを持ち上げるのも、無理からぬ話ではありますが…。
予定調和を崩して、なおかつ公序良俗とちゃんと葛藤して、面白いと思える作品を書く作家がいたら、読んでみたい気がしますが…。