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子供のいじめ自殺の事件が発生すると必ず「教師が悪い・親が悪い」「いじめは犯罪」「戦後教育のせい」という意見が、TV・雑誌・ネット等で飛び交います。僕はそのたびに「あなた方は自分が同級生・親・教師だったら、様々なリスクを覚悟して、被害者をいじめから救えたのか?安易に正義感を振りかざして、いい気持ちになりたいだけじゃないか?」と疑問や怒りを感じます。正直、僕はそういった発言から当事者意識の欠片も感じる事ができません。
僕も今回のゴー宣を読んで、当初は村松君のSOSをスルーし続けた担任教師に怒りを覚えました。しかし、彼女の姿はかつての僕と同じじゃないかと思いました。
僕の中学時代の友人に、いじめに遭っている人がいました。僕は彼がいじめられているのを見てもスルーしていたどころか、ついには周囲の圧力に耐えかねていじめに加担してしまい、最終的に彼は登校拒否になってしまいました。そして今度は僕がいじめの対象になり、それは中学卒業まで続きました。
そんな卑怯者で臆病者だった僕が、村松君の担任や、村松君のいじめを見て見ぬ振りしていた生徒たちを正面から批判できるのか。考えるたびに胸が苦しくなります。
いじめを考える際、責任者探しや、いじめ体験の告白より先に「もし周りの人がいじめられていたら、自分は知らん振りしないで、救ってあげられるのか?」と自分に問いかけるべきではないでしょうか。それを怠っているから、いじめ問題が解決しないんだと思ってます。マスコミも読者や視聴者にそういった問題提起をして、一人一人に当事者意識を持たせるべきだと思います。
今回のゴー宣では、いじめも当事者意識をもって考えないと、村松君の担任教師のような人間にお前も成り下がるぞ、と問われている気がしました。

日時
2015-06
投稿者
monmon
記事
「岩手中2自殺事件、最大の責任者は誰なのか?」小林よしのりライジング号外
No.
72