散々、勝手な事を言っている分際に構わず、神経質に反応してしまいます。
かんTさんへの当て付けではありません。また、些細を突くものではありません。しかし、実際は、そうなってしまっています。矛盾するようで申し訳ありません。けれども、「この子は弱すぎたのかな」という語だけに、敏感に反応してしまうのです。やたらと絡みつくような変人で、本当に申し訳ありません。
自死は「精神の弱さ」「精神の強さ」に関係ありません。一般的な自死は、皆そうです。
(「一般的」と言うと安倍晋三がよく使うので本当は避けたいです。)
精神が、弱いから自死すると言うなら、精神が強ければ死んでみろと言います。すると、相手は大抵、死を恐れます。臆します。情けないものです。
人は,そのうち、必ず死にます。それは、誰でも分かっています。しかし、先生は、ますます、新作意欲に旺盛です。生きているうちは、それで充足しておられます。
しかし、失礼ながら死んでしまうと、何もかも全く関係なくなります。死後の評価も、御本人にとって、何も、感知しなくなります。死後、先生の作品を巡って、生きている者「だけが」先生の作品を評価の対象にするだけです。その時、先生は過去の歴史上の人物だけの存在で評価されるだけです。死んで消えてしまうのですから当然です。
それでも、生きているうちは、生命力を最善に使おうとします。人は、皆同じです。生きる方向性が決まっています。よく、何の為に生まれて来たかを問題にする人がいます。問題にならない問題です。生きているから生きるだけです。そして、ただ生きるだけではありません。人間は頭脳精神を持ち、よりよく生きようとします。別名、向上心です。それに従って生きているのです。向上心の方向性が良くなければ、良い人生は歩めません。
先生の強大な生命力を浴びて、元気になる人、復活する人がいてくださって嬉しく思います。ゴーマニズムとは、本来そうだと思います。ゴーマニズム宣言を世界に向かって、日本は公式に宣言するべきです。
生命力一杯の人間であるはずなのに、自死に向かうのは「一般的」な場合においておかしいのです。自死する病んだ精神状態に追い込まれて自死するのです。
東條英機は、確実に死ねる頭部への弾丸を打ち込みませんでした。その事を責めたくありません。
一般の自死において、精神的な強弱を言うべきではないと思います。