続きですが、先生の歴史観は戦前のアジア主義の観点から見ても正論です。
戦前、アジア主義者として活躍した日本無罪論の田中正明氏もこう言っています。
「われわれは東京裁判を根本的に否定したとしても、われわれ日本人がなんら反省すべきでないかというとそうではない。過去の日本の政策が軍国主義的、または帝国主義的色彩が強かったことは否定できない。だからこそ、日本の対外政策が東亜諸民族の不信と猜疑を招き、ついに無謀な戦争へと突入したのは事実である。もちろんパール判事はこれを認めている」
やはり、戦前のアジア主義者から見ても、東京裁判否定論から見ても、日本の対外政策が侵略的だったと言っているんです。
もう一人、終戦の詔勅で有名な安岡正篤です。
安岡は戦前はアジア主義として活躍し、蒋介石も一目置いた人物です。安岡によると日本は満州に留まることが出来ず、支那内地に入ったことは失敗だと言っています。
「張作霖が失敗したのは、側近の王永江の山海関を超えて中原に入ってはならないという諫言を退けたからである。張作霖と同じ失敗をしたのが日本である。私は日本、中国、満蒙の三国が東亜連盟、極東同盟を造り欧米と対応していくのが一番正しく望ましいと考えていた」
しかし、日本はヨーロッパばかり目を向けて、シナを知らず満州事変、支那事変に突入したと批判しています。もともと支那にとっては満州は化外の地であり、孫文も日本に売却しようとしてましたからね。しかし、万里の長城を超えてしまった故に張作霖と同様に破滅したというわけです。
これ以外でもアジア主義者たちの言葉を見ても、
先生の歴史観はまさに理にかなっていると感じました。