武藤 の削除コメント

さらに、支那事変において道義に全く適っていない、にも関わらず保守派が誰も反省していないことがあります。
支那事変において南京が陥落しても、事変が全く解決しないのを受けて、軍部は国民党ナンバー2の汪兆銘を担ぎだします。
汪は呼応し、新政権樹立の協議が行われました。
そこでの内容が汪を驚愕させます。
まず、撤兵どころか、駐区区域を一層拡大し、中国北部13省の満州国化を意図し、さらに南京、上海間の鉄道経営権を日本に委任させ、海南島にも新たに設定させるものでした。
この内容には今井武夫は「近衛声明からの逸脱、遂に此処に至るか」「帝国主義構想を露骨に暴露したもの」と激しく批判しました。
これに対して汪兆銘は調印式で待っている間に、髪を両手で掴み、力を込めて引き抜くようにひっぱっりました。そしてひっきりなしに「恨!恨!」と鼻声を出し、涙で濡れて顔がクシャクシャに歪んだそうです。
まさにペリーの砲艦外交並みのことを軍部はやり、泣く泣く汪兆銘に呑ませてしまったのです。
こう見ると、支那事変を単に通州事件による報復!
原因は支那側にある!と言ったステレオタイプ的な意見は通用なんかしません。
日本が聖戦の名の下に侵略的なことをやったことは否定できない事実だと思います。

日時
2015-07
投稿者
武藤
記事
「天皇機関説事件の再来」小林よしのりライジング Vol.142
No.
119