当時の幣原外相はじめ外交官、軍人はワシントン体制を遵守するしか日本は生き残れないと認識していました。確かにそれが一番理性的だったとは思います。
しかし、第一次大戦後に民主政治の発展により、
職業外交官の時代から世論が外交をリードする時代に移っていきました。日本も例外ではありません。
世界恐慌、支那の反日暴動の激化により満州事変は起きましたが、まだこの時はイギリスを始め、欧米諸国は日本に対して制裁を加えるようなことはありませんでした。
問題は満州事変の成功に酔った国内世論が暴走を始めてからです。
すでに軍部が世論をバックに暴走をしており、いくら、良識派が対米戦争になる危険性を説明しても、
無駄な状況になっていました。
もし、本当に支那全土を征服するような壮大なプランがあったならば、あんな行き当たりバッタリな外交をするはずがなく、ただ、世論に押された格好になっていた為にプランなく支那奥地に侵略をするような形になったのです。
それに対してアメリカは経済制裁を深め、逆上した国民感情のまま大東亜戦争が始まってしまいました。
強硬な世論に支えられていた為に、聖断が下るまで戦争を止めることが出来なかったのは、政治的には大きな失敗だと思います。
また、あれだけ強硬だったのに、敗戦をしたら、180度態度を変えるような国民性だったから、あんな悲惨な負け方をしたんだと思います。
現在の安保法制の議論も、ネトウヨ、自称保守の考えも戦前と酷似しておりプランなくただ、対中強硬論を言っているだけです。
戦争の反省をしていると安倍は言いますが、全く反省していないと強く感じます。