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第一次大戦後に現れたとされる新しい国際秩序について調べてみました。
第一次大戦後に植民地争奪戦に代わる新しい国際協調のルールを作ろうと、1919年にパリ講和会議が開かれました。
ウィルソン大統領により国際連盟という「ロック的自由主義の原理を国際秩序機構の設立に適用しようとする」試みが提案されました。
国際連盟について「人間進歩の偉業のひとつである自由民主主義社会の問題の考え方を世界の問題に移し変えたものにほかならない」と評した人間もいましたが、実際は大きな問題を孕んでいました。
イギリスの歴史家であるエドワード・ハレット・カーはこう言っています。
「社会秩序の大いなる標準化は、領土の規模、国力、さらには政治・経済・文化発展などに大きく異なる諸国家に適用された場合、とてつもない混乱を引き起こしてしまう」
自由民主主義と抽象化されたスローガンだけを掲げても、実際の政治的現実に対処することはできないというわけです。
国連加盟国は平等に扱うことは連盟規約に掲げてられています。となると、人種問題は避けてはとおれない道であるはずです。
ところが、彼らの精神は人種平等に進化したわけではありませんでした。
日本が人種平等問題を持ちだしてもウィルソン大統領は「あなた方がこの静かな部屋でその是非について論ずる人種問題についてだが、いったいこの部屋からこの問題が外に出てしまえば相手にもされないものを、さてどのように話し合うというのか?」と切り捨てました。
結局、欧米諸国は「これからは世論の時代だ!世論は必ず勝利し常に正しい!」と空虚な平和主義を連呼しただけでアジアに眼中なく、植民地も現状維持が図られました。
このような欧米諸国の偽善、欺瞞が日本人を失望させ、また、マグマのような怒りを醸成させ、アジアの反逆…満州事変に繋がっていきます。

日時
2015-07
投稿者
武藤
記事
「安倍首相の戦後70年談話を検証する」小林よしのりライジング Vol.144
No.
24