今号はゴー宣2本立て、よしりん先生のサービス精神に感謝いたします。
寝屋川の事件ですが、一報を聞いたとき、犯人を許せないと思うのと同時に、子供の親は夜中に子供を遊ばせて、平気なのか?と言う当たり前と言えば当たり前な疑問が湧いていました。
SNSという便利なツールと深夜営業の店舗、これだけ犯罪の温床になりそうな要因がそろっていれば、犯罪者にとっては住みやすい社会になるのはわかっているのに、どうしてだれも手を打たないのか不思議でしょうがありません。
犯人の顔、過去にも少年を乱暴するという酷いことをしておきながら、あんだけ社会をナメきった顔が出来るのは、まさに「獣」の所業というほかはありません。
今回の事件とは別に、Q&Aでも触れていましたが、実の親が子供を虐待あるいは親子間で殺人を犯してしまうように共同体の崩壊がどんどん加速していますね。歪んだ個人主義(自己中心、自分勝手)は結局、未来ある子どもの人生の芽を潰してしまうことにわたしたち大人は気づいてあげられないのでしょうか?
わたしより上の世代が食いつぶしたモラルの破壊をわたしの世代で食い止めなければと思わずにはいられません。
豊下氏の件についてですが、昔は保守の識者は昭和天皇の「全責任発言」はあったという認識を持っていて、昔は保守の側もさかんにそれを強調していました。
ところが保守の立場がみんなイラク戦争を支持したものだから、それをよしりん先生が批判した途端、いわゆる「逆張り」で保守の言うことはすべて間違っている、昭和天皇の「全責任発言」は嘘だ、という空気が出来あがってきたわけですね。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的な思考に嵌るのは日本人特有の悪弊です。だからネトウヨとかサヨクとか、一方的な見方でしかものを考えられない人がいるのですね。
よしりん先生はけっしてそんな連中に与せず、同じ人の語った言葉でも正しいものは正しい、間違っているものはまちがっていると、バランス感覚が備わっているから、独自の視点でものを考えられるのでしょう。
このことは寝屋川の事件についても同じことがいえます。「社会が悪い」「防犯体制を強化しろ」にともすれば偏りがちな意見に堂々と風穴をあけることで存在感を示す先生は、今の日本になくてはならないものだと思います。
わたしはQ&Aで米内光政について質問しましたが、回答のよしりん先生の「もしかしてと思うが」と「歴史とはそういう軽いもんじゃない。」のはざまに先生の本音と建前、「私」と「公」をみました。バランス感覚をとりながら、ぎりぎりまで葛藤して回答されたのでしょう。そんな先生の姿勢に感謝します。
「ザ・神様!」これからおこるヤマトタケルの悲劇を思うと、いままでの残虐な行いも悲劇のための導線かとおもうと、胸を痛めずにはおられません。
来週もよろしくお願いします。