(前段より)もし取り分がいらない、自己の身体生命財産を他に委ねても生きて行ければ構わないというのならば、それもいいでしょう。しかし、ふつう人はそれを奴隷とか隷属とか呼びます。そしてそれを肯定するということは、自身(奴隷)の自由を支配できる主権者(奴隷の主人)である他国民(どこでしょうね)がもっとよその国に侵略したいと思った時に、逆らえないということなのです。
あれ、なんかどこかの国みたいですね。元寇のときに中国人や朝鮮人が尖兵として攻めてきましたが、そういうことですよ。親兄弟子供を人質に取られたら、嫌でも他国を攻めなければならないかもしれない。良心の自由が当たり前に保障されているなんてぬるま湯に慣れているととんでもない目に合います。我々が良心的に生きる自由ですら、主権がないとあり得ないのです。そんなのなくてもいいやと言うのがこの国の多数だとしたら、廃滅必死でしょう。この国の多数がイラク戦争の総括が出来ない、いややる必要すら感じていないのはそういうことなんでしょう。あの時に今のような規模のデモなんてなかった。皆様、この意味、分かりますか。日本人の大多数は既に良心の自由を喪失しているのです。
自分たちが汗水垂らして稼いだ税金で無辜の民を殺すことになんの痛痒も感じない。自分たちの国柄(国としての人格)を自分たちで守ろうという意思がない。これが主権を喪失するということです。だったら、この国で人が生きることになんの意味があるのか、となると、これはもう「卑怯者の島」のあのラストのテーマにも通じるかもしれませんね。
長文、失礼いたしました。