シールズを始め、安保法制反対の理論は傾聴に値するとは思いますが、彼らは憲法9条を守ることで現在の平和が保持できると夢想していることが先生との最大の違いだと改めて思います。
1944年に国務省が起草した米国の対日戦後目的の中にこう書いています。「日本が米国及び他の太平洋諸国に対する脅威になることを阻止する。この目的達成のため、武装解除、軍事的監視」を行う。
武装解除がまさに憲法9条であり、軍事的監視は日米安保条約と見事に達成しています。
憲法9条に関しては「どんな国にも自分を守る権利はある」とケーディスは反対でありましたが、マッカーサーのゴリ押しで入れられてしまいました。
しかし、当のマッカーサーが1957年の憲法調査会の質問に手紙で答えて「第9条のいかなる規定も、国の安全を保持するために必要な全ての措置を妨げるものではない」と回答しています。
となると起草者の判断では自衛隊を暴力装置としての軍隊として見ても差し支えないということになります。
しかし、日本政府は憲法9条第2項により、一切の軍備と国の交戦権を認めないから、国権の発動としての戦争を放棄した。しかし、国家固有の自衛権は保持しているから、実力組織としての自衛隊は保持できるとかなり無茶な政府解釈をしています。
まあ、条文をそのまま読めば、マッカーサーも日本政府も解釈は間違っており、自衛隊は違憲であるという憲法学者の解釈が正論だと思います。
政府は独立回復後は経済優先政策を取り、憲法改正は後回しにしました。これを保守派は吉田ドクトリンだ!と批判しますが、もし、憲法を改正していたら間違いなく、韓国のようにベトナム戦争で参戦を要請され、もちろん断ることができず、あの悲惨なゲリラ戦を経験したことでしょう。
冷戦構図があった時代までは「あんたらが作った憲法のせいで、自衛隊は海外派兵できない」という言い逃れはできており、結果論ですが幸いしたと思っています
しかし、冷戦構図が崩壊すると、アメリカの対日態度も変わり、日本政府に海外派兵の圧力をかけてきました。この要求も徐々にですが、身を結び、海外派兵をしても日本人はなんも不快感を感じなくなってしまいました。慣れてしまったのです。
アメリカはこの世論変化を見逃すはずがなく、日本に対して集団的自衛権を行使せよ!と圧力をかけてきたのです。なに、馬鹿な国民は既成事実さえ作ってしまえば、すぐに反対したことなんか忘れるさと悪魔の微笑みをしながら…
もし、シールズが主張しているように「自由で民主主義国家」「戦争をしない国家」を目指すならば、この戦後レジームを打破するしかありません。日本が普通の近代国家に生まれ変わるしかないのです。
しかし、そんなことはシールズ連中は全く無関心。
シーラカンス的な冷戦脳で9条さえ守れば、日本は平和国家のままと夢想しています。
アメリカの圧力の前では立憲主義も破壊されることを大多数の日本人が気付いてほしいと願います。