10日放送「よしりんに、きいてみよっ!」の感想です。
「デモンストレーション」という言葉の語源に「モンスター(怪物)」という意味が含まれていたとは、初めて知りました。道場ブログにもありましたが、「デモクラシー」「民主制」というのは結構恐ろしいものなんだと思いました。
それと「民主制は、多数派が少数派の意見を最大限汲み取る為にある」という言葉は目からウロコでした。この事は民主主義国家の国民の、最低限のルールだと思い知らされました。
今回の放送で一番考えさせられたのは、安保法制反対デモに参加している若者達についてです。先日も新聞でシールズを「ネトウヨに楔を打った」「新しいデモクラシーが胎動した」と絶賛している学者の意見が載っており、読んでいて気持ち悪くなりました。これってちょっと難しい言葉を覚えた時に「将来偉い人になれるね~」と、幼い子供をほめてるのと同じじゃないでしょうか。ただシールズをバッシングするのも、大人げないとは思いますが。
「シールズに参加していると就職に響く」と言われて「そんな企業、こちらから願い下げです!」と切り返していた学生の話には、お前は何様のつもりだと呆れました。高校野球の補欠が「巨人以外はプロに行きません」と言ってるのと同じじ位の、勘違い発言だと思いました。
僕もそうでしたが、学生はどうしても未熟で中二病になりがちです。そんな若者をいかにまともな社会人に育てていくか、それを真剣に考え実行するのが、大人の役割だと僕は考えています。あと小林先生が歌舞伎風で言った「願い下げよ~」は、思い出すたびに笑いが止まりません。
「家に帰ったら母親の美味しいご飯が待っている、仕送りしてくれたお婆ちゃんに有難うと言える小さな幸せを壊さないで欲しい」という女子大生の話もありましたが、それって確実に格差社会の話でしょう。現在は共働き等で家庭料理にありつけない子供や、年金が減額されて苦労しているお年寄りが増えています。このご時世で彼女の幸せは小さいどころか、かなり恵まれていると思います。それに気づく事が安保法制より、彼女にとって大切な事ではないでしょうか。
放送を見終わった後「脱正義論」を再読しました。カナモリさんの活動日記を読んでいて、自分たちの正義のために小林先生を都合良く振り回し、身勝手で無礼な言動を繰り返す川田親子や学生・弁護士たちに改めて怒りが沸きました。薬害エイズの被害者を救う為それに必死に耐えた小林先生や、そんな先生の姿に心を痛めていたカナモリさんの事を考え胸が痛くなりました。