もう既に次号が配信されているのですが…、
徴兵制のことについてもう少し書きます。
確かにわたしは徴兵制についてはやむを得ないと書きました。
召集のときに果たしてすぐに応じられるだろうか?という疑問があります。
わたしは42歳で、老齢の父母がいます。その父母が天寿を全うして喪が明けてから兵役に就いてからでは遅いでしょうか?
そして兵役に従事したとして、どこに行かされるのでしょうか?希望したところへは行けるだろうか?
戦場か?被災地か?
行って何ができるか?第三者の目は?
陰口をたたかれても忍従できるか?
不慮の死を遂げても名誉は讃えられるか?
そう言ったことを考えない限り、いくら徴兵制が当然だと言っても、わたし個人としては素直に納得いかない部分があります。
皆さん、今号の「ザ・神様!」で、景行天皇の心の声がべべクソ色(ウンコ色)で表現されていたことにお気づきでしたでしょうか?
「(オウス……なんという奴だ。(中略)オウスが相手では、防ぐ手立てがない)」の部分です。
読者の中には、天皇の大御心をババ色で表すなんて何と不敬な!と感じられた人もいるかも知れません。
でもよく考えてください。
景行天皇のこのお言葉は、実は現代日本の抱えた問題を見事に言い表しているのです。
そこに踏み込む前に、わたしは「ヤマトタケル物語・その5」でヤマトタケルが叔母のヤマトヒメに語ったある言葉の部分が気になったので、図書館で調べました。
それは、ヤマトタケルが「父上は、ぼくに早く死んでほしいと思っておられるんだ……。」と語る一節です。
その中の、「早く」という部分です。
実は、「古事記」の原本では、ここの原文は、「既」という字が入っていて、この「既」の意味が「早く」という意味なのか、「まったく」という意味なのか、学者の中でも意見が割れているのです。
「早く」になれば、「父上はわたしが早く死ねばいい」という意味になって、「まったく」になれば、「父上は、まったく、わたしに死ねとおっしゃる」という意味合いになります。
「皆既日食」という言葉があるように、「既」には「まったく・完全な・ことごとく」という意味があり、そうなるとヤマトタケルのセリフは「父上は、まったく、わたしに死ねとおっしゃる」つまり、景行天皇は「おまえ
(ヤマトタケル)なんか死んでわしの記憶から消えてしまえ」という意味合いで東国に遣わした、ということになります。
結局もくれんさんは、多くのヤマトタケル伝記が採用している「早く」説を採用しましたが…。
「一刻も早く死んでほしい」と「(忌まわしいお前は)死んでわしの記憶から消えてほしい」とではニュアンスが微妙に異なります。この微妙なニュアンスの差異は、実は、沖縄の問題や、自衛隊に対する私たちの考え方の微妙なズレにつながるのではないでしょうか?とわたしは考えるのです。
たとえば、沖縄は、「新戦争論1」第16章で描かれていたように沖縄を本土防衛の基地にしようとした(そのために本土防衛のために住民が虐げられた)ことと、戦後(本土の)日本人が潜在的にその忌まわしさから逃れたいと考えていること、この2つの真実が混在しています。
また、自衛隊は、憲法で保障されていない(そのために軍隊として扱ってもらえない)ことと、国民が自衛隊を一刻も早く米軍と一体化させようとする政府の意見に賛成していること、これも2つの真実が混在しています。
つまり、わたしたち日本人のしょーもない、だらしないのは、いやなことは他人に押し付けるくせに、その嫌なことをしている他人の存在を見ようともしない、目を瞑っているということではないだろうか。
改めて景行天皇のお言葉をよく噛みしめてみますと、そこには、現代の日本人の本音がものの見事に言い表されているように思いました。